2002年7月16日火曜日

「恩を知る」 音更町 西然寺 白木幸久

 今年の桜は例年になく早かっただけに、遅い霜には、びっくりさせられました。農家の人の「思うようにいかないものだ」という、つぶやきが痛いようにわかる今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 すでに、マスコミで報道されていますので、お聞きになっていると思いますが、先の本願寺のご住職であり、浄土真宗本願寺派の教団を統裁されておりました、前門[ぜんもん]さまが、6月14日午後1時16分、ご遷化[せんげ]されました。

 前門さまは明治44年のお生まれです。15歳のとき、ご開祖の親鸞聖人から数えて第23代目のご門主に就任されていらい、昭和52年65歳で退任されるまでの50年、という長い間、激動の時代に、宗門はもとより、わが国仏教界のリーダーとして先頭にお立ちになり、私たち仏教徒をお導きいただきました。また、英語やドイツ語にも堪能でして、海外にもお念仏のみ教えを広げられ、同時に、世界の宗教界においても、仏教の代表としてご活躍なされました。

 帯広・十勝にも何度かお越しいただいていますが、最後のご訪問は昭和62年、帯広別院創立80周年記念のご法要ということになります。そのご法要に参拝された方もおられるかと思いますが、本当に温かな眼差しが印象的で、温容なお人柄が忘れられません。ここに、満90歳のご生涯を閉じられましたが、宗祖親鸞聖人のお念仏のみ教えを伝えていただきましたことに、深く御恩を偲ばせていただきましょう。

 さて、上人[しょうにん]の御恩をはじめ、御恩を偲ばせていただくには、「恩を知る人」に育っていかなければなりません。「恩を知る人」という語源は、パーリー語で「カタンニュー」と言うのですが、その意味は「なされたことを知る人」ということです。なされたことを知らなければ、恩という気持ちがわくはずもありません。「子を持って知る親の恩」のことわざのように、子育ての苦労をしてみてはじめて、自分を育ててくれた親のありがたさや、親が注いでくれた愛情の深さがわかる人になっていくのです。

 生老病死は、いのちあるものにとって、避けることはできません。どうすることもできないとわかっていながら、それでもどうにかならないだろうかと案ずるところから、人の苦しみは始まります。その苦しみがあるからこそ、それをご縁として、み仏さまの大きなお慈悲を感じ、知ることができるのです。

 仏さまは一時も休まず、私どもにみ光を注ぎ続けて見守ってくださっています。そのお救いの中で、前向きに生きていこうではありませんか。

 親鸞聖人の「恩徳讃」[おんどくさん]というご和讃[わさん]では、「仏さまの恩徳には身を粉にしてでも報じなさい、仏さまのみ教えを伝えてくださった人の恩徳には、骨を砕いてでも謝しなさい。」とうたっていますが、御恩をかみしめ、感謝しながら生きていきましょう。

2002年7月1日月曜日

「共々の歩みを み教えの中に と願い」 幕別町 義教寺 梅原了圓

 浄土真宗のみ教えに出遇うご縁をいただいた私たち一人一人は、このご縁を自ら大切にし、そのお心をいただくなか、与えられしいのちを大切にし、社会を共に歩みたいと願うものです。この「願い」に対し、み教え[みおしえ]との出遇いをどのようにいただいたらよいのでしょうか。

 私ども、仏教との出遇いの中、そのお心をいただくことの大切さをよく示されますが、現実に自らの歩みの中、そのことと向かいあう時、その難しさに直面いたします。「そのうちに、そのうちに」と時を過ごし、私の心に常に働いている自己を中心とした自我に左右され、悩まずにおられません。その道をご開山[かいさん]聖人[しょうにん]の歩みの中に尋ねてみたく思います。

 そのご生涯に思いをいたす時、自ら求める中、お念仏のみ教えに出遇われ、そのご生涯を通じて常にみ教えに「問い、聞き、味わい」そして、私どもに「語られた」ことであります。自らの欲望と葛藤に沈む自我の心を悲歎し、そのような自分が救われていく道はと求められる中、み教えに出遇われたことを心から歓ばれ、その歓びを多くの友に伝えられたご生涯であったと偲ばれます。

 そのお姿を偲ぶ時、まず大切なのは「問い」であることに気づかされます。人生のさまざまな悩み、迷いの中に身をおき、沈める自らの姿にあって、絶えず「問い」を深められた方と偲ばせていただくものです。真実のみ教え、すなわち、お念仏のみ教えに出遇われる中、法によって明らかにされた自身を、日々、その一歩一歩の歩みに省[かえり]みる歩みをされた方であったと味わうものです。

 「問う」ことの大切さ、「問いを深める」ことの大切さをそのご生涯は示してくださっています。「問い、聞き、味わい、語る」ということの全ては、実に「問いの深さ」であることをそのご生涯は教えてくださっているうように思います。自らの「問い」を仏法に問うことを通してみ教えのお心に遇い、また、法を求めて生きる方々にご自身の味わいと如来さまのお心を伝えられることに、そのご生涯を過ごされています。そのお姿は、自らの味わい、喜びを語られ、さらなる広がりをもって共々の歩みを深められていっています。

 お正信偈[しょうしんげ]の中にも示される七高僧のお一人である善導大師[ぜんどうだいし]は、『観経疏』[かんぎょうしょ]の中でその道を求めるにあたって、「各々[おのおの]が単独に真実を求めても成就し難い。人々と友に強い求道心[ぐどうしん]を発[おこ]して真実に至れ」と、その趣意を述べられています。

 私たちは、この時代に生きるご縁をいただいた一人一人です。詩人・坂村真民師の「めぐりあいの ふしぎに てをあわせよう」の詩にもあるように、このかけがえのない大切ないのち、人生であることに目覚め、共々に道を求めるなか、共に生きぬく社会を目指して歩みを進めたく願うものです。

合掌