2005年10月16日日曜日

「あなたが大切だ」 音更町 西然寺 白木幸久

 遠くの山々では、もう「白い便[たより]」が届いているとのこと。秋のお彼岸も過ぎ、一日一日冬支度[ふゆじたく]が進んでいる、今日この頃です。健康とは、「体は健[すこ]やかに、心は康[やす]らかに」という意味だそうですが、皆様、健康な日々を送っていられるでしょうか。

 先日のことですが、「滝川市内の小学校で自殺」とのニュースが流れていました。朝、登校してきた同級生が、教室で首をつって、ぐったりしている女の子を発見。先生が人工呼吸して、救急車で病院に運びましたが、意識不明の重体とのことでした。

 どういう理由で自殺しようとしたか、どんな悩みを抱えていたのか、定かではありませんが、小学6年生といえば、まだ11歳か12歳。同じような年頃の子を持つ親として、胸の痛みとともに、我が子への不安をかき立てられました。

 同じく、6月のことでしたか、長崎県佐世保市で、小学6年の女の子が同級生の首をカッターナイフで切って、殺害した事件が起こりました。後からの真相によれば、血が噴き出して、動かなくなっていく姿を、しばらくじっと見ていたとのことです。何のことはない、いつ生き返るかと思って見ていたらしいのです。その後の調査でも、「人は死んでも生き返ると思っている小学生が多い」との報告には、びっくりさせられました。まさか、自殺を試みた女の子も、自分は生き返られると思って、自殺したわけではないでしょうが……。

 「人生は苦なり」とは、そのために仏教をお開きになった、お釈迦様の言わずと知れたおことばですが、自分の人生、自分の命を簡単に終えていこうとする、子どもたちがいます。以前でしたら、取るに足らない子どもの自殺は考えられなかったのですが、簡単な理由で、命を絶っていく子どもたちがいます。またその一方で、簡単な理由で、人の命を傷つけ、奪っていく子どもたちがいます。一体、いつのころから、いのちがこんなにも軽くなったのでしょうか。

 目の前の生き物たち、地をはうもの、海を泳ぐもの、空を飛ぶもの、この世に生きとし生けるものたちはみな、いのちを惜しみながら必死に生きようとしています。私たちがつかまえようとすれば、必死になって逃げまどいます。だれも好んで、つかまろうとはしません。

 世の中に生きる無数の生き物たちのなかで、人間として生まれてくることは、すくいあげる砂ほどにまれなことなのです。お釈迦様は、人間として生[せい]を享[う]けたという、希有[けう]なことを自覚してほしいと説きました。でも、現実に生きている私たちには、「希有な生を享けた」という実感がわくこともなく、毎日に追われています。それこそが、自殺を試みたり、他人を簡単に殺そうとする事件を生み出す背景となっているように思われます。

 人間は、ほかの生き物と違って、自分で自分を見つめることができます。自分の良いとこ、悪いとこ、自分の弱さや不安、さらにはいのちの果てまで、自分で計り知ろうとします。これを「自覚」といますが、この自覚こそ、私たちに、大いなるエネルギーを与えます。自分が人間として生まれたことや、いまこうして、いのちがあることの有り難さの「自覚」が、いまを精一杯生きようとする力となるのです。

 「命は地球よりも重い」とは言われますが、

命は大切だ。命を大切に。そんなこと何千何万回言われるより、あなたが大切だ、誰かがそう言ってくれたら、それだけで生きていける


と新聞広告にありました。そう言ってあげてほしいと思います。そのほうが、どんなにか、子どもの心に響くことか……。

 改めて、私たちは、子どもたちがどれほどの尊いいのちを持っているかを自覚し、父母の立場にあれば、「あなたが生まれてきてくれて、お父さんもお母さんも本当にうれしい。あなたは大切な人」と、いつでも語って聞かせてあげてください。祖父母の立場ならば、なおさらのこと、お孫さんがかわいく思えることでしょう。ですから「あなたが生まれてきてくれて、お父さんもお母さんも、本当にうれしく思っている。おじいちゃんとおばあちゃんもそう。あなたは大切な人なのよ」と、何度でも語ってほしいと思います。それが、自分のいのち、そして自分以外のいのちの大切さを知る第一歩になっていくと思います。