2007年2月16日金曜日

「私の生きていく方向」 芽室町 願恵寺 藤原昇

 おかげさまで新年を迎えさせていただきました。そう思っているうちにもう2月になりました。月日の過ぎることの早いことに驚いています。

 昨年もさまざまなニュースがありましたが、次から次へと起こる重大事件に記憶が追いつかないほどです。皆さんは如何でしょうか。

 暗い事件が多い中、スポーツ界では、イナバウアー荒川静香さんの金メダル、王監督率いるジャパンのWBCでの優勝、日本ハムの日本一など、スポーツ界での明るい話題が心に残っています。特に「連投しても大丈夫な体に生んでくれて、ありがとうと言いたいです」と決勝戦後に話したハンカチ王子こと、斉藤祐樹投手の一言は皆さんも心に染みたのではないでしょうか。

 学校給食のことですが、「いただきます」(ごちそうさま)は給食費を払っているのだから、子どもには言わせないで欲しいと言う親がいて、結局フエの合図になったという学校がある話は随分前に聞いていましたが、最近は「頼んだ覚えがない」「勝手に食べさせている」と言って給食費を払わない親、どうしようもなく校長先生たちが支払っても全く考えを変えない親が全国的に増えてきているとのこと。

 このような暮らしのどこから、優しい心・率直な態度・感謝を言える子どもが育つのでしょう。

 槙原敬之という歌手をご存知でしょうか? この人の歌で『親指を隠さずに』という歌があります。この詩の中に

黒い車をみつけても

親指を隠さずに

手を合わせよう決めたんだ

親の死に目に会えないとか

不安な迷信を

まだ幼い子どもに教えたりするその前に

もっと教えておくべき

大事なことがある


 とあります。

 火葬場に向かう車が来たら親指を隠すと聞いたけれど、そんなことはしないで私は合掌します、ということです。それは変な迷信と思う人がいたら、決して他人事でも、遠い地方のことでもありません。もっともっとすごい迷信を信じている私たちがいるのではないでしょうか。

 いま教えを聞き、伝えなければならない私たちの番が来ています。いつか暇になったらとか、まだまだ若いからとか‥‥。

 いろいろ理由はあるかもしれませんが、お寺の法座にお参りして、私の生きていく正しい方向を聞かせていただきましょう。

世間の暇をあけて法を聞くべきように思うこと、あさましきことなり。仏法には明日ということはあるまじきこと‥‥


 と、蓮如上人は声を大にしておっしゃっていました。

 この私のために‥‥。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏‥‥。

2007年2月1日木曜日

「味わい深い人生」 足寄町 照経寺 鷲岡康照

 今年は暖冬の影響か、例年よりも気温が下がらず、雪も少ないようです。おかげで、普段の生活では楽なところもありますが、お参りに行く先々で、暖冬で困っているという話を聞くと、喜んでばかりもいられません。

 この冬、その暖冬の影響を身近に感じたのは、ご門徒さんとの会話からでした。昨年末あたりから、「寒くならないので漬け物を漬け込むタイミングを迷う」とよく聞いたのです。

 ありがたいことに、お参りに伺ったときなどに、「ご院さんが好きだから…」と言ってお茶とともにお手製のお漬け物を出していただいたり、おみやげにいただくことがあるのです。どこのお宅でもそれぞれの味があり、おいしいものばかりです。

 さて、そんな“漬け物”を題材に詩を書かれた方がいます。ご存じの方も多いでしょうが、現代の妙好人[みょうこうにん]とも言われる榎本栄一さんという方です。まず一遍ご紹介しましょう。

『漬け物野菜』

 白菜や蕪の持ち味は
 漬け物にするとよくわかる


 簡単な言葉で書かれた、なんてことはない詩のように思えます。しかしもう一遍の詩を知るとその味わいはグッと増します。

『漬物』

 漬物には
 重石がだいじである
 私という漬物に
 これは
 天からいただいた重石
 どうぞよい味に漬かってくれ


 傍目から見れば、重くて辛そうな重石。しかし、その重石は漬け物を押しつぶそうとしているわけではなく、より味わい深くするためのものなのです。

 人生を歩む中で、辛いこと悲しいことはなければいいと思うことはあるでしょう。けれど、一切の苦しみがなかったら、そこには他者に共感が出来ない、鈍感な一人の人間がいるだけでしょう。しかし、苦しみがあったとしてもそこには愚痴・怒り・悲しみがあります。どこまで行っても救われない私がいる。

 そんな私のことを救わずにはおれないというのが阿弥陀さまです。阿弥陀さまの願いを聞き、願いの中で生きていく。そうすると逆境も漬け物の重石のように「おかげさまでありました」という仏恩に転じていく、味わい深い人生を送ることができるのでしょう。