2007年12月6日木曜日

仏婦若婦人研修会


 2007年12月6日、帯広別院講堂において十勝組仏教婦人会連絡協議会第17回若婦人研修会が開催されました。組内より81名が参加し、豊頃町大正寺住職高田芳行氏を講師に午前中は「世のなか安穏なれ…み仏と共に生きる」をテーマに講義が行われ、午後からはなごやかな空気のもと、クイズ形式で浄土真宗のみ教えについて学びました。

2007年11月11日日曜日

帯広別院百年を祝う 大谷光真ご門主様がご親修



 帯広別院の創立百周年記念慶讃法要が、2007年11月11日、ご門主様のご親修により執り行われました。

 厳しい自然環境と激動の時代の中で十勝開拓に取り組んだ先人方の心の拠り所として創立された「北の法城」の佳節を祝う法要には、十勝をはじめ崇敬区域の根室、釧路、北見など道内各地から僧侶、門信徒ら約1300人が群参しました。

 法要をご親修されたご門主様は「仏法をたよりに厳しい人生を生き抜かれた先人らの思いを人切に」と説かれ、参詣の門侶は「ご親教をいただく身の幸せを慶び、一同力を合わせて別院の護持発展の心の支えにしたい」とこの度の勝縁を機に念仏繁盛への精進を誓いました。

2007年8月1日水曜日

「「一寸先は闇」?」 音更町 妙法寺 石田智秀

 なまんだぶつ、なまんだぶつ。

 「一寸先は闇」と言います。そして、「この世は次の瞬間に何が起こるか分からないから、わたしたちは真実のなんまんだぶつに出遇っていただかなければ大変なことになっていた」と言ったりもします。

 先日、釧路にいたとき、ホテルで夕食後にサッカーの中継を見ていたら、TV画面に津波警報が流れました。「どこで地震があったんだろう? 大変だなあ」と思っていたら、「釧路・根室・オホーツク海側に、1メートルから2メートルの津波警報が出ました」ということでした。「地震がないのに津波が来るのか?」と思い、怖くなりました。

 あわててホテルのフロントに降りて行って「避難しなくて良いのですか?」と聞いてみましたら、「大丈夫ですよ。このホテルそのものが、この地域の避難場所に指定されているんです。お客さんの部屋は三階ですから大丈夫ですよ」というふうに言われて、安心して戻ったんであります。

 そして、その後で、やっと、他のことに気付くんであります。「今日お世話になったあのお寺は大丈夫だろうか? ああ、あそこは高台にある。‥‥じゃあ、明後日お世話になるあのお寺は大丈夫だろうか? ああ、あそこも大分内陸にあるから大丈夫だろう」などなど。

 「一寸先は闇」だから、それでわたくしたち、なんまんだぶつという真実の光に照らされる、そういう生活をすべきなんだ、と言うんでありますけれど、わたしは、自分の身の安全が確保されてそれで初めて、それから他の方の心配をしたのです。

 自分の安全が確保されてからでなければ、他の人のことが心配できない。その心のありようっていうのは、わたしの心そのものが、闇であって、「一寸先は闇」の世界を「闇」そのものが歩いているという姿なのではないかと思いました。

 「一寸先は闇」だから、お念仏に出遇っていただかなければいけないと言います。しかし、それだけではなく、闇が闇の中を歩いているのが、わたしのありようなのです。

 だから、お念仏に出遇っていただかなければならなかったのであります。
 出遇っていただいて、本当に良かった。
 あぶないところでした。

 では、失礼します。

 なまんだぶつ、なまんだぶつ。

2007年7月19日木曜日

Cブロック僧侶研修会



 2007年7月18~19日の2日間にわたり、本年度の教区Cブロック僧侶研修会(基幹運動推進僧侶研修会併催)が十勝川温泉観月苑を会場に開催されました。

 研修会では、本願寺連研中央講師の松野尾慈音師を講師にお招きし、「私とお寺が変わる運動」をテーマに基幹運動について学びました。

 会場には管内はもとより、北見・釧路・根室から約50名の僧侶の出席がありました。

2007年7月16日月曜日

「「布施をする」という生き方」 帯広市 光心寺 桃井直行

 仏教のイメージというアンケートを見たら、「お葬式」「法事」「盆詣り」など、「死んでからいくところ」というのが多かったように思います。皆さんのイメージはどうですか? 確かに人が亡くなった時に、お坊さんの出番がやってくるのは事実です。

 しかし仏教は「死」のみを問題にしてきたのではありません。むしろ、お釈迦さまの教えは「この現実世界を如何に生きるか」を問い続けたのであります。

 特にお釈迦さまは私たちに「布施をする」という生き方を教えてくださっています。布施というのは、さまざまな施しを実践することです。一般的に布施といえば、財産をお寺に施すことをイメージします。これを「財施(ざいせ)」といいます。また仏さまの教えをひろめることを「法施(ほうせ)」といいます。それともう一つ、金品がなくても、仏教の知識がなくても、誰にでも出来る大切な布施行をお釈迦さまは教えてくださいます。それを「無財の七施(むざいのしちせ)」といいます。それは


いつも 慈しみをたたえた 眼差しと

    ほがらかで 柔和な顔色と

    礼儀正しく 温かい言葉で語り合い

    他人のために 骨身を惜しまず

    深い愛情と 敬いの心から

    和やかに 席をゆずり合い

    安らぎの場所を 供養しましょう


 というものです。

 これが、仏法を学ぶものの大切な生活態度ですよと、お釈迦さまは教えてくださいます。しかもその布施の行為は「施しても施したという思いを起こさず、事を成しても成したという思いを起こさない」ものでなくてはならないといいます。

 常に、やさしい眼差しを施しなさい。人に対して決して睨み付けたり冷ややかな目や態度を取ってはいけませんよ。

 とげとげしいイヤな顔はしないように、にこやかに優しく和やかな顔で人に接してくださいね。

 「おはようございます」「ごちそうさまでした」「ありがとうございます」などの優しい、ぬくもりのある言葉を使うように心がけてくださいね。

 気遣いや思いやりの心をもって、ひとに接してください。また、ひとを不愉快な気持ちにさせるような態度をとったりしてはいけませんよ。

 小さい子どもやお年寄りに席を譲ってあげなさいよ。また、ひとが訪ねてきたときに、早く帰れと言わんばかりの態度を取ってはいけませんよ。

 以上の七つが、お釈迦さまが教えてくださる、大切な布施行なのです。決して難しいことではないのですが、なかなか実践することは出来ないことです。特に、俺が・私が「せっかくしてやったのに」という心がすぐに起こってしまう。最初は浄土の心持ちで布施の行為をしていたのに、相手の反応によってはあっという間に地獄の心で相手を切り刻んでしまう。そんな心が私の心なのです。そんな姿が私の正体なのです。そのことを見越してお釈迦さまは「施しても施したという思いを起こすな」とおっしゃいます。

 こんな些細なことさえも、実は私には出来ないことなのですよ、と、お釈迦さまは我々に教えてくださっているのです。

 それでは、お釈迦さまは私に何をすべきとおっしゃるのか? それは、やはり布施をしなさいというのです。何かするとおごりの心をおこし、またすぐにカッとなって怒りの心を起こしてしまう私だけれども、それでも今の私に出来る精一杯のことをさせていただく。布施の一つも出来ない私であったと頷きながら、まねごとでもいいから布施行をさせていただくことこそ、仏法を学ぶものの生き方であります。

 南無阿弥陀仏。

2007年7月12日木曜日

仏教婦人大会



 2007年7月12日、帯広別院本堂において、十勝組仏教婦人会連絡協議会第52回大会が開催されました。 252名が参加、講師に上川南組の永江雅俊師をお迎えし「仏道を歩む - いのちの地平線から、メッセージ -」というテーマで、チェルノブイリ原発事故の被爆者の子どもたちとの触れあいを通し、わかりやすく講演いただきました。

2007年7月6日金曜日

東西交流ソフトボール大会


 2007年7月6日、今年で3回目となる東西本願寺の交流ソフトボール大会が札内川河川敷で行われました。
 管内の本願寺派(西)、大谷派(東)の若手僧侶ら約40人が参加のもと、対抗戦では終盤に木野光明寺臼井教生さんの逆転満塁ホームランが飛び出した西チームが勝利を収めました。

2007年7月1日日曜日

「お慈悲を生きる」 豊頃町 大正寺 高田芳行

 お電話ありがとうございます。こちらは十勝組と西別院テレホン法話です。

 仏説無量寿経には「仏さまのこころは大きな慈悲のこころ」と説かれています。

 親鸞聖人もご和讃に「お釈迦さまは慈悲のお父さん、阿弥陀さまはお慈悲のお母さん」と著されています。

 仏さまにおいて慈悲は、もっとも重要な意味を持つ言葉と言われています。

 慈悲の「慈」とは相手に楽しみを与えることで、「悲」とは相手から苦しみを抜き去ることです。この慈悲を体得して、相手を差別しないで慈悲をかけるものが「覚者」[かくしゃ]、すなわち仏であり、それを象徴的に表現したものが、観音菩薩、地蔵菩薩といわれています。

 やさしくいうなら、慈悲とは「相手と共に喜び、共に悲しんであげる」ことでありましょう。やわらかい言葉に置き換えれば「あたたかな心」ともいえましょう。

 昔、あるところに、勝円さんという慈悲深いお坊さんがいました。いつも仏さまの教えを熱心に勉強していました。

 風の強い寒い夜でした。いつものように経典を読んでいると、外から人の泣き声が聞こえて来ました。声を頼りに出て行くと、一人の男が丸裸で震え泣いていました。これを見て自分の着物を脱いで、その男に着せてやると男は「ありがとうございます。けれど、これだけでは足りません。もう一枚着せてください」と言ったので、今度は自分の肌着を脱いで、自分は裸になって着せてあげました。男は次に「あなたのところへ行って火にあたらせてください」と言いました。勝円さんは「いいですよ」と言い、手を引いて連れて行こうとすると「どうか背中に負おうってください」と言うから、男を負んぶして、寺へ帰って来ました。寺に入ると男は「早くこたつをしつらえて、それからあたたかいものを食わせてください」と言いました。勝円さんは、急いで火を起こし、こたつを作り、台所へ行っておかゆを作り始めました。おかゆが出来たので持って行くと、こたつの中にも、部屋の中にも男の姿は見えませんでした。すると本堂から「ここにいるぞ」と声がします。本堂にいくと、仏さまが、自分が脱いで男に着せた着物を着ていました。驚いた勝円さんが仏さまに礼拝[らいはい]すると、仏さまは「あなたの慈悲の心は、とても深いので感心しました。これからも、しっかり仏の教えを学びなさい。あなたは必ず仏になります」といわれました。


 勝円さんは仏さまの心を学び、実践した人でした。

 以前にある方から「慈悲を語るお坊さんはたくさんいるけれど、慈悲のこころを実践しているお坊さんは少ないように感じます」と言われハッとし、恥ずかしく思ったことがありました。

 私たち念仏者は南無阿弥陀仏のお念仏のみ教えを通して仏さまのお慈悲、あたたかい心を頂戴して日暮らししています。勝円さんのようにはなかなかいきませんが、仏さまからいただいたお慈悲、あたたかい心を少しでも周りの人に広げていくことが、お慈悲に生きることと理解し、お互いに出来ることから、ご一緒に実践していきましょう。

 今回の担当は、豊頃町、大正寺、高田芳行でした。

2007年6月30日土曜日

仏教婦人会支部大会

今年も十勝組仏教婦人会連絡協議会の支部大会が各線で行われました。

日時支部会場参加者
5月30日士幌線支部真徳寺130名
6月4日下り銀河線支部照経寺111名
6月8日上り銀河線支部宝照寺160名
6月14日広尾線支部真光寺120名
6月17日拓殖線支部立教寺86名

2007年6月29日金曜日

若坊守会 春の研修会

 2007年6月29日、十勝組七味会(若坊守会)の春の研修会が帯広市西25条南2丁目の茶戸庵で行われ、7名が参加してお茶の入れ方や歴史を学びました。

2007年6月28日木曜日

仏壮パークゴルフ大会



 2007年6月28日、大樹町歴舟川パークゴルフ場にて、第10回十勝組仏教壮年会連絡協議会パークゴルフ大会が開催されました。


 9ヵ寺69名が参加し、賑々しく行われました。


 途中雨に降られましたが、終盤は快晴となり、終了後は参加者全員でバーベキューを囲み懇親を深めました。

2007年6月16日土曜日

「お経を読ませていただく心構え」 新得町 立教寺 千葉照映

 ようこそお電話くださいました。十勝組テレホン法話でございます。

 よく、お経を聞かせていただきますとありがたいですね、心が休まりますね、ということを耳にいたします。

 さて、ありがたいと言っている方に理屈を言うようで申し訳ないのですが、いったいどういうところがありがたいのでしょうか。

 お経の中身がわかってありがたいのか、それとも世間の相場ではお経はありがたいものときめてつけているのか。

 恐らく後者ではないでしょうか。私たちも含めてほとどんどの方はお経を聞いて内容をすっと理解できる方は少ないのではないでしょうか。

 特殊な語学を身につけている方は別として。無理もないことであります。日本語ではありませんから。

 お経とは、ご存知のとおりインドの国でお釈迦さまがお弟子さんを集めて、自分がさとりを開いた内容、すなわち「ご法話」をされました。2500年昔のことであります。筆記用具、メモ帳があるわけでなく、まして録音器具があるわけでもありません。当時は尊いお言葉は身をもって聞きなさいという習慣がありました。ですからお釈迦さまが生きておられる間は良かったのですが、問題はお亡くなりになった後、出てまいりました。

 メモがありませんから「いやそんなふうには聞いていない、私はこう聞いていた」というふうに少しずつ聞き違いがでてきてしまったのです。

 こんなことではせっかくのありがたいお釈迦さまのご法話が歪められてしまうと嘆かれ、お弟子さん方が集まり、書き残されたもの、それがお経であります。

 そのお経が中国へと渡っていきます。中国ではそれを何年も何十年もかかって中国語へと翻訳されました。やがて日本へも渡ってきたのですが、そこでは翻訳できなかったのであります。それをそのままいただいたのです。

 ですから今、私たちがいただいているのは中国語そのままのお経と言ってもいいわけです。日本人が中国語のお経を聞いているわけですから理解しがたいのも当然のことであります。

 理解した者だけを救うという教えではありませんが、お釈迦さまが生涯かけて、命をかけて説き続けてくださったみ教えであります。

 解らせていただこう、味合わせていただこうとする心の中から読ませていただく、それがお経を読ませていただく真摯な心構えではないでしょうか。

 お電話ありがとうございました。担当は立教寺、千葉照映がさせていただきました。

2007年5月21日月曜日

寺族婦人会研修旅行


 2007年5月21日、2年に1度の十勝組寺族婦人会の研修旅行が行われ、子どもを含む19名が旭川市の旭山動物園を見学し懇親を深めました。

2007年5月9日水曜日

仏教壮年会総会・研修会


 2007年5月9日、今年で20回を数える十勝組仏教壮年会連絡協議会の総会・研修会が、帯広別院を会場に行われました。
 組内から62名が参加のもと研修会では帯広市大正町光心寺の桃井直行氏をご講師にお招きし「習俗・迷信を超える道」をテーマにお釈迦さまの縁起の教えを学びました。

2007年5月1日火曜日

「まさに貪欲こそ、苦の原因」 音更町 浄信寺住職 御幸誓見

 ひと昔前のバブル全盛期ほどではありませんが、大型の詐欺事件が報道されています。今でも時々こんな電話がかかってきます。「大変お得な情報がありますが、いかがでしょうか」のような類の話です。

 そうした電話には「そんなに儲かるなら、他人に教えないで自分だけのものにしたらどうですか」と答えて断りますが、敵もさるもの、「それはそうですが、私ひとりだけでなく、皆さんにも儲けてもらって幸せになってもらいたいのです」と返ってきます。

 人間の欲望というのは、際限がありません。なければないで欲しがりますし、あればあったでそれらをもっと増やしたいと欲が出ます。先の電話の話も、そうした人間の弱さをついた話といえますが、欲しい欲しいという貪[むさぼ]りの心が、自分自身を苦しめているのではないでしょうか。まさに、貪欲[とんよく]こそ、苦の原因です。

 お釈迦さまは私たちに、貪欲をはじめ三毒の煩悩を取り除かなければ、さとりを得ることができないと諭されました。ちょうど田畑において、雑草を抜いておかなければ、実りを収穫することができないのと同じです。

 しかし、困ったことに、雑草は抜いても抜いても下から生えてくるのと同じく、煩悩も次から次へとわきおきってきます。

 そうした煩悩を断ち切ることができない人間の実相を見抜かれ、それでもなお「必ず救うぞ」と呼びかけ続けてくださるのが阿弥陀如来であることを、尊くありがたく仰ぎたいものです。

2007年4月28日土曜日

寺族婦人会春の研修会



 2007年4月28日に、寺族婦人会の春の研修会が開催されました。
 24名が参加し、午前中は白浜瑞江さんを講師に、「伝わる話し方」をテーマに、講演を頂き、午後は昼食をかねて、かんたんな洋食のマナーを学びました。

2007年4月26日木曜日

総代会総会・研修会

 2007年4月26日、十勝組総代会総会・研修会が組内総代など40余名の参加のもと開催されました。 総会では役員改選が行われ、今江一良氏が会長に再任されました。 研修会には、鹿追町瓜幕浄教寺の池上恵龍氏をご講師として、「いま、浄土に生きる」というテーマで講演を頂きました。

2007年4月16日月曜日

「新しい春を迎えるにあたって」 清水町 妙覚寺 脇谷暁融

 ようこそ、浄土真宗本願寺派 十勝組[とかちそ]のテレホン法話におかけくださいました。

 今回は、わたくし清水町妙覚寺の脇谷が担当です。

 今年度も4月になり、一斉に新しい始まりを迎えました。入学や就職、それぞれのお宅でもお身内におられるのかもしれません。私たちの十勝組でも、組長[そちょう]をはじめ役員がそれぞれに変わり、新体制でのスタートを切ろうとしているさなかです。これから十勝に住まいする私たちに関わる大きな行事としました、今年の11月には帯広別院の100周年のお祝いの法要を迎えます。また2011(平成23)年の親鸞聖人750回大遠忌法要までの5年間、この新しい十勝組、帯広別院の顔ぶれでみなさまとともに念仏の歩みを進めたいと考えております。

 念仏のみ教えはこのように750年以上もの間、人々の、そして私たちの人生に大きくかかわるものとして、長い歴史を積み重ねてきました。先人の多大なご苦労は想像を絶するものがあり一口に表現することはできません。またそれは、一軒一軒の名もなき多くの人々によって、親から子へとそれぞれがそれぞれに伝えられてきたものでもあり、そのみ教えが、いよいよ私自身の人生において、今届いてきてくださっているのも事実です。その中で、私たち自身は今一度、阿弥陀如来の本当の願いをたしかに受け取って生かされているかを、たずねてみなくてはなりません。

 ありがたいことです。もったいないことです。と言葉に表わされてきましたが、何がありがたいのか、何をもったいないと言ってきたのか、本当の願いに聞き訪ねてみたことはあるでしょうか。ありがたいと言っている私自身が、ほかの人のことはどうでもいいこと、それは関係ないこととして、多くの人々のいのちをないがしろにし踏みにじって生きてはいないでしょうか。もったいないことと言いながら、自らの人生を深く顧みることなく、適当なところで開き直って生きてはいないでしょうか。

 浄土真宗のみ教えは、阿弥陀如来のみ名[みな]を称[とな]える念仏一つという世界から、自らをどこまでも掘り下げていくことで深く味わい、人のいのちを踏みにじり、自らに開き直ってきた私自身の姿が、あきらかにしらされていくことを信心といただいてきました。

 阿弥陀如来は、すべてのいのちはすべて平等にあってくださることを私の上に知らせています。しかし、私たち自身は平等、平等と言いながら、ほかかの人を差別し見下し、嫉妬や怨みを抱いて生きてきたのではないでしょうか。それが長い歴史の中で、教えを味わう中に含まれてしまっているとしたら、大変悲しいことになります。

 新しい春をみなが迎えるこの時期、私が味わってきた念仏ははたして、私の人生においてどうであったのか再確認してみる機会とも言えましょう。

2007年4月6日金曜日

仏教婦人会総会・一夜研



 2007年4月5~6日、十勝川温泉観月苑にて、十勝組仏教婦人会連絡協議会総会・一夜研修会が開催されました。 参加者210名のもと、総会では役員改選がなされ、新たなスタートを切ることになりました。一夜研では、釧路より八村弘英師をお迎えし、「老病死のいのちに学ぶ - ビハーラ活動15年の出遇い -」というテーマで講演をいただきました。

2007年4月1日日曜日

十勝組 組長 挨拶 白木幸久


 この度、2007年3月27日の臨時組会におきまして、組長に選出されました。振り返りますと、平成6年、梅原了圓(義教寺)ご住職が組長に就任して以来、前組長の桃井浩純(真光寺)ご住職が退任されるまで、3期13年にわたり、副組長として組の運営に携わってきました。
 今期は、平成23年度親鸞聖人750回大遠忌を迎えるまでの5年任期となっています。
 組内皆様方のお力添えを支えにしまして、任務を遂行していく覚悟ですので、よろしくお願い申し上げます。
 早速ですが、十勝組のテーマ『すべての寺院で僧侶・門信徒による取り組みを』めざして、「和合」と掲げさせていただきました。
 僧俗老若男女等それぞれの違いを尊重しつつ、喜怒哀楽を分かち合い乍ら、共に支え合っていきましょう。
 み教えをよりどころとして集う人たちが、共にかがやけるよう、各々できるところから実践していこうではありませんか。
合掌

十勝組 副組長 挨拶 御幸誓見


 謹啓

 慈光のもと、日々ご健勝にてご法義ご相続のこととお慶び申し上げます。
 さて、永く休止中でありました組報の発行を、伝道広報部の皆様のご尽力により企画して頂くこととなりましたこと、感謝とともにお慶び申し上げます。
 十勝組の活動、基推委の活動を、寺院、門信徒の皆様に広く知って頂くこととなり、それにより今まで一部のみの方の参加になりがちであった活動も更に広く深くなって頂けるのではないかと期待しています。僧侶、門信徒が一体となり、活気のある組織、行動の原点にと念じてご挨拶とさせて頂きます。

合掌

「一年を振り返って」 十勝組 副組長 千葉照映


 平成19年度より白木組長を中心に新しい教化活動がスタートした訳でありますが、初めて副組長(会計)という立場で関わりを持たせて頂き、この1年間つくづく先輩役員の皆様方のご苦労を思い知らされた事であります。前任者に何回何十回電話をかけた事か、戸惑うばかりの1年間でありました。
 正直、とんでもない役を受けてしまったもんだ!という思いでした。伝票整理に時間はかかるし、計算は合わなくなる。帳簿付けにも手間がかかる、落ち着いて酒も飲めやしない【まいったな~】。
 今、1年が過ぎ、パソコンのエクセルを初めて使っている自分に驚いております。機械が苦手で、ましてや伝票整理などした事もない私が組会で報告することまでこぎ着けることが出来ました。
 まいったまいったと愚痴を溢していた私でありますが、振り返って見て新しい事に挑戦するチャンスを与えて頂いていた事に気づかされた事であります。今は、自ら新しい事にチャレンジする事の苦手な私を後押しして頂いている思いでおります。
 与えられた任期、精一杯努めさせて頂きますので、ご指導賜りますようお願い申し上げます。

「副組長って、結構大変でーす、の巻」 十勝組 副組長 桃井直行


 近頃、年を取ったせいか時間が経つのがやたらと早く感じます。「最近、何か時間が経つのが早いねー。気がついたらもう半年たったもんねー。1年なんてアッという間だね」などと、おばちゃま達と適当に話を合わせていましたが、まさか自分がそのように感じる年齢になるとは……。昔は、特に学校に通ってる頃は、1時間の授業の長いこと。1日の、1年の長いこと。いつも思っていたことは、「早く休みにならないかなあ~」でした。
 つまらないときは、時間が経つのが遅いようです。人間、楽しい事だと時間が経つのを忘れるといいますが、もう一つ、忙しすぎるとアッという間に時は過ぎてゆきます。最近、何故だか色々な役職が私に廻ってきます。札幌にも一カ月に何度も通ってます。会議、研修会、勉強会、そして「大切な?飲み会」。結構大忙しです。
 そうそう、十勝組の副組長といっても私の仕事は庶務というより雑務です。各種会合等の案内状作成や、議事録、報告書の作成、配布物や資料の発送など「十勝組のなんでも屋」です。打って、刷って、折って、切って、詰めて、貼って、出して……ハイお疲れ様。これの繰り返しです。
 おかげさまで、皆様に支えられながら、正しくアッという間の1年間でした。今後とも私が生き長らえるように、皆様のご協力を宜しくお願い致します。

合掌

「あたたかな動きのあるお寺作りのために」 十勝組 相談員 高田芳行


 組内僧侶、寺族、門信徒の皆様には、日頃より十勝組基幹運動推進に深いご理解とご協力を頂き、厚く御礼申し上げます。
 基幹運動は、浄土真宗の教えに基づいた運動です。自らが教えに聞き、教えに生きる僧侶・寺族・門信徒になることをめざす運動です。お念仏を頂いている一人ひとりが、自らの生き方を問い、社会の人々の苦悩の現実に寄り添う運動でもあります。このことを再認識して、これからも「組」の実態を考えながら、共に相談し、合意し、協力し合って運動を進めていきましょう。お寺だけでは出来ないことでも、組内寺院が協力してアイデアや能力を結集することで、幅広く深い活動を展開することが出来ます。そこからお互いが新たな活力を貰い合い、お寺の活動を活性化させていきたいと思います。法座や研修会で学んだことを、一つでも行動に移し、あたたかな動きのあるお寺を作っていきましょう。

合掌

「十勝のお坊さんの一員として」 副相談員 石田智秀


 幼少時から家族や門徒さん方からは何となく「お寺の子」として育てられておりましたし、やがて自我が強くなってからも時に多少の反発はしつつ、心のどこかでは「寺院後継者」の心づもりをしておりました。
 とはいえ、お寺の運営に実質的に関わることの出来る年齢になってからも、お寺とは夏と冬の帰省時にのみ関わるような不作法な生活を15年間も続けておりました。
 しかし2005年の住職課程を最後に京都との縁もとうとう尽き、8月に十勝に戻って参りました。
 こちらの生活にもすこし慣れ、また、いわば試用期問中の布教使として道内を巡回させていただくようになり、少しは「十勝のお坊さん」っぽくなって来たかもしれないと思い始めた矢先の副相談員の任です。
 荷が勝ちすぎなのは仕方ありません。少しでもその名に追いつくよう精一杯励んで参ります。
 どうか、ご指導よろしくお願い致します。

合掌

「教区会におもむいて」 教区会僧侶議員 梅原了圓


 十勝の地にも日増しに春の訪れが感じられる頃となりました。
 私こと、昨年4月に教区会議員職を仰せつかってから早1年、各寺住職様を始め多くの方々からのお導きを賜りながら今日を迎えさせていただきました。心より御礼申し上げます。
 教区会におもむいて、組長時代とは責務の異なる立場より関わり思うことは、教区の各種事業に対しての内容を踏まえながらの予算・決算審議の難しさ、又、私どもに深く関わる各種区令の検討審議、そして、本山と教区、組、各寺院に関する案件、諸問題の対応審議等、あらためてその内容が多岐にわたり重要課題の多いことを痛感しております。その責務の重さに身が引き締まる思いです。
 現在、教区には各寺院に関わる本山および教区の賦課制度等の問題、過疎の間題、差別と平和の問題、そして、来る平成23年4月より「世のなか安穏なれ」のスローガンのもと修行される親鸞聖人750回大遠忌に向けての諸課題等、私ども宗門全体の基幹運動計画にも深く関わる諸問題が山積しております。
 今後とも、皆様のご指導ご指摘を頂きながら諸課題を学びつつ、組と連携のもと、教区に於いて発言していく所存です。教区の動きについても組会等を通じ、出来得る限りお伝えしてまいりたく思っております。これからもお導きの程、宜しくお願い申し上げます。

合掌

「今、思うこと」 教区会門徒議員 鳥本順司


 早いものですね、十勝組から選出されて北海道教区の議員になり2期目になります。1年に2回程会議がありますが何とか続けられております。
 会議の内容は、国・道・市町村の議会と同様で、予算・決算・人事・規約の改廃等が主で2月は親鸞聖人の750回大遠忌法要委員会の設立があり委員が決まりました。
 私達が信じる宗教は不変でありますが、現代のような科学文明の発達した時代になっても、私達の周囲には多くの迷信や俗信がはびこっています。占いやまじない、神がかりなど日本の各地で未だに人々の心を支配しており、そうした現象は無数といってよいほどあります。
 多くの人はそれを宗教だと思っていますし、そういう人々の気持ちを利用して不合理なことをいう宗教らしきものも後を絶ちません。
 日本人固有の宗教的心情は祖先崇拝であるといわれています。それは生まれつき天性に繋がるもので、どんなに文明が発達してもたやすく無くならないものだと思います。
 これは誰に教えられたものでなく、日本人として生まれたときからもっているからでしょう。仏教のような世界宗教といわれるものは、釈尊のような優れた宗教的境地に達した人が開かれたもので、その導きによって人々は生まれたときから持っている迷いから目覚めるのであって、その目覚めによって初めて私達は迷信や俗信から離れることが出来るものと思います。
 現代人は合理的な判断により誤った考え方を否定するのが普通ですが、ただそれだけでは迷信や俗信から解放されることは困難です。というのはそれが人間の生まれつきの心の在り方に結びついているからではないでしょうか。

合掌

十勝組 総代会 会長 今江一良


 みなさま、心豊かにお過ごしのこととお喜び申し上げます。この度、総代さま各位のご推挙を頂き再度重責を担うことになりましたが、組長さまを始め先輩諸氏より摂取心光を重ね本願を信じ、何よりも大切な人間同士のつながり(ご住職 - ご総代 - ご門徒)を大切にし、みなさまのお役に立てますように励んで参りたいと思います。

合掌

十勝組 仏教壮年会連絡協議会 会長 村瀬信義


 今年20周年を迎えた十勝組仏教壮年会の目的としているのは、相互の連携を密にして親睦を諮り、宗派の基幹運動の充実発展である。
 これをふまえ、来年の記念事業に向けて、未結成寺院への立ち上げの働きかけをし、仏教壮年として御同朋の社会をめざし、宗門の中核となり、共に歩んでいきたいと思っております。

合掌

十勝組 仏教婦人会連絡協議会 会長 藤本喜久子


 十勝組仏教婦人会連絡協議会も、昨年は節目の50周年を迎えることができました。
 仏婦会員の減少と役員のなり手が無いなどの悩みも多いことですが、これからも32カ寺の仏婦会員と話し合いをしながら朋[とも]に発展に努めたいと思います。

合掌

「心の鏡」 中札内村 眞光寺住職 桃井浩純

 私にとって一番大切なものは、と問われたならば、それは言うまでもなく、「私の命」と答えるでしょう。なぜなら、「私の命」は父母、兄弟、姉妹、夫婦等、誰もが代わることができず、そして二度とない人生を生きる命であるからこそ、一番大切であり、尊いのであると思います。

 そうしたかけがえのない命をいただきながら、そのことを日々確認もせず、吟味[ぎんみ]もせず、人と比べて安らかな思いのないまま今日に至ってはいないでしょうか? それは何故でしょうか。

 その因[もと]を尋ねれば、おそらく人間は、「いつもいつも」「幸せでありたい」「自分の思うがままに生きていきたい」という欲望が心の根底にあると言ってよいのではないかと思います。

 すなわち、むさぼり、いかり、おろかさです。悲しいことですが、自己中心的な考え方の表われだと思います。

 その結果はなかなか自分の思い通りには進みません。その時、自分にとって都合の悪いことは他人のせいにし、他人が薄情だなど、他人に責任転嫁をし、自分をふりかえることなく他人を批判してしまう傾向があるのではないでしょうか。

 他人のせい、他人が薄情だとみえるのも、その多くは自分の蒔[ま]いた種の証であるということに、気づきたいものですネ。

 善導大師[ぜんどうだいし]のお示しになったお言葉に、「経は教なり、また鏡なり」というのがあります。お経は教えであり、鏡であるということです。

 誰も代わることのできない命をいただき、二度とない人生を生きるからこそ、如来のみ教えを鏡として、その鏡に自分の姿を写し、ふりかえってみることが大切なのではないでしょうか。

 二十年ほど前、私が砂利道で自動車を運転中、「ゴトーン!」と音を立てて落ちてきたものがありました。慌てて車を止め、よくよく見ると、ルームミラーでした。ルームミラーがないと不安で落ち着いて運転できないものですね。ルームミラーで後ろを確認しながら運転するからこそ安心して走れるものだということを、身をもって体験しました。

 これと同じように、私たちの人生も、自分をしっかりと写し、照らし続けてくれる鏡を持つことが、生きていくうえに大事なことだと思います。

2007年3月16日金曜日

「教えの中に生かされてゆく日暮らし」 清水町 寿光寺 増山孝伸

 今年は暖冬と言われながらも季節は少しずつ移っていることが、風や土の匂いにも春の気配を感じるようになりました。

 親より先に子どもに亡くなられることは、親にとっては耐え難いものです。一人息子に若くして先立たれ、いつもお寺参りに足を運んでくださるお婆ちゃんがおられ、柔らかな笑顔を絶やさず熱心に聴聞されておられました。

 「お寺に来ると、亡くなった息子に会え、みんなとおしゃべりができるから、とても楽しくてしょうがないんだよ」

 先立つ人は後を導くと言います。亡き子をご縁として、仏さまへのご縁にあわれた方でした。

 一人この世に残された息子への思いをお婆ちゃんは「会いたい 会いたい 息子に会いたい」と、お布施の裏に書かれたこともありました。その方も、今は亡くなってしまいました。

 私たちには死んでも阿弥陀さまのお浄土に生まれかわり、再会できる世界が用意されています。

 きっと、今は、このお婆ちゃんも、お浄土での息子さんとの再会を喜んでおられることでしょう。

 自分を支えてくれる大きな命の流れを振り返ることも時として必要です。今、この世の中の流れにまどわされて、自ら迷いの人生を送っているのではないでしょうか?

 私たちは、「いのち」の恵み、ありがたさを感じながら、仏さまの教えの中に生かされてゆく日暮らしを送りたいものです。

 春のお彼岸です。皆さんの菩提寺でも彼岸会法要をつとめられることと思います。命のふるさと、お寺に足を運びましょう。

2007年2月16日金曜日

「私の生きていく方向」 芽室町 願恵寺 藤原昇

 おかげさまで新年を迎えさせていただきました。そう思っているうちにもう2月になりました。月日の過ぎることの早いことに驚いています。

 昨年もさまざまなニュースがありましたが、次から次へと起こる重大事件に記憶が追いつかないほどです。皆さんは如何でしょうか。

 暗い事件が多い中、スポーツ界では、イナバウアー荒川静香さんの金メダル、王監督率いるジャパンのWBCでの優勝、日本ハムの日本一など、スポーツ界での明るい話題が心に残っています。特に「連投しても大丈夫な体に生んでくれて、ありがとうと言いたいです」と決勝戦後に話したハンカチ王子こと、斉藤祐樹投手の一言は皆さんも心に染みたのではないでしょうか。

 学校給食のことですが、「いただきます」(ごちそうさま)は給食費を払っているのだから、子どもには言わせないで欲しいと言う親がいて、結局フエの合図になったという学校がある話は随分前に聞いていましたが、最近は「頼んだ覚えがない」「勝手に食べさせている」と言って給食費を払わない親、どうしようもなく校長先生たちが支払っても全く考えを変えない親が全国的に増えてきているとのこと。

 このような暮らしのどこから、優しい心・率直な態度・感謝を言える子どもが育つのでしょう。

 槙原敬之という歌手をご存知でしょうか? この人の歌で『親指を隠さずに』という歌があります。この詩の中に

黒い車をみつけても

親指を隠さずに

手を合わせよう決めたんだ

親の死に目に会えないとか

不安な迷信を

まだ幼い子どもに教えたりするその前に

もっと教えておくべき

大事なことがある


 とあります。

 火葬場に向かう車が来たら親指を隠すと聞いたけれど、そんなことはしないで私は合掌します、ということです。それは変な迷信と思う人がいたら、決して他人事でも、遠い地方のことでもありません。もっともっとすごい迷信を信じている私たちがいるのではないでしょうか。

 いま教えを聞き、伝えなければならない私たちの番が来ています。いつか暇になったらとか、まだまだ若いからとか‥‥。

 いろいろ理由はあるかもしれませんが、お寺の法座にお参りして、私の生きていく正しい方向を聞かせていただきましょう。

世間の暇をあけて法を聞くべきように思うこと、あさましきことなり。仏法には明日ということはあるまじきこと‥‥


 と、蓮如上人は声を大にしておっしゃっていました。

 この私のために‥‥。

 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏‥‥。

2007年2月1日木曜日

「味わい深い人生」 足寄町 照経寺 鷲岡康照

 今年は暖冬の影響か、例年よりも気温が下がらず、雪も少ないようです。おかげで、普段の生活では楽なところもありますが、お参りに行く先々で、暖冬で困っているという話を聞くと、喜んでばかりもいられません。

 この冬、その暖冬の影響を身近に感じたのは、ご門徒さんとの会話からでした。昨年末あたりから、「寒くならないので漬け物を漬け込むタイミングを迷う」とよく聞いたのです。

 ありがたいことに、お参りに伺ったときなどに、「ご院さんが好きだから…」と言ってお茶とともにお手製のお漬け物を出していただいたり、おみやげにいただくことがあるのです。どこのお宅でもそれぞれの味があり、おいしいものばかりです。

 さて、そんな“漬け物”を題材に詩を書かれた方がいます。ご存じの方も多いでしょうが、現代の妙好人[みょうこうにん]とも言われる榎本栄一さんという方です。まず一遍ご紹介しましょう。

『漬け物野菜』

 白菜や蕪の持ち味は
 漬け物にするとよくわかる


 簡単な言葉で書かれた、なんてことはない詩のように思えます。しかしもう一遍の詩を知るとその味わいはグッと増します。

『漬物』

 漬物には
 重石がだいじである
 私という漬物に
 これは
 天からいただいた重石
 どうぞよい味に漬かってくれ


 傍目から見れば、重くて辛そうな重石。しかし、その重石は漬け物を押しつぶそうとしているわけではなく、より味わい深くするためのものなのです。

 人生を歩む中で、辛いこと悲しいことはなければいいと思うことはあるでしょう。けれど、一切の苦しみがなかったら、そこには他者に共感が出来ない、鈍感な一人の人間がいるだけでしょう。しかし、苦しみがあったとしてもそこには愚痴・怒り・悲しみがあります。どこまで行っても救われない私がいる。

 そんな私のことを救わずにはおれないというのが阿弥陀さまです。阿弥陀さまの願いを聞き、願いの中で生きていく。そうすると逆境も漬け物の重石のように「おかげさまでありました」という仏恩に転じていく、味わい深い人生を送ることができるのでしょう。