2007年6月16日土曜日

「お経を読ませていただく心構え」 新得町 立教寺 千葉照映

 ようこそお電話くださいました。十勝組テレホン法話でございます。

 よく、お経を聞かせていただきますとありがたいですね、心が休まりますね、ということを耳にいたします。

 さて、ありがたいと言っている方に理屈を言うようで申し訳ないのですが、いったいどういうところがありがたいのでしょうか。

 お経の中身がわかってありがたいのか、それとも世間の相場ではお経はありがたいものときめてつけているのか。

 恐らく後者ではないでしょうか。私たちも含めてほとどんどの方はお経を聞いて内容をすっと理解できる方は少ないのではないでしょうか。

 特殊な語学を身につけている方は別として。無理もないことであります。日本語ではありませんから。

 お経とは、ご存知のとおりインドの国でお釈迦さまがお弟子さんを集めて、自分がさとりを開いた内容、すなわち「ご法話」をされました。2500年昔のことであります。筆記用具、メモ帳があるわけでなく、まして録音器具があるわけでもありません。当時は尊いお言葉は身をもって聞きなさいという習慣がありました。ですからお釈迦さまが生きておられる間は良かったのですが、問題はお亡くなりになった後、出てまいりました。

 メモがありませんから「いやそんなふうには聞いていない、私はこう聞いていた」というふうに少しずつ聞き違いがでてきてしまったのです。

 こんなことではせっかくのありがたいお釈迦さまのご法話が歪められてしまうと嘆かれ、お弟子さん方が集まり、書き残されたもの、それがお経であります。

 そのお経が中国へと渡っていきます。中国ではそれを何年も何十年もかかって中国語へと翻訳されました。やがて日本へも渡ってきたのですが、そこでは翻訳できなかったのであります。それをそのままいただいたのです。

 ですから今、私たちがいただいているのは中国語そのままのお経と言ってもいいわけです。日本人が中国語のお経を聞いているわけですから理解しがたいのも当然のことであります。

 理解した者だけを救うという教えではありませんが、お釈迦さまが生涯かけて、命をかけて説き続けてくださったみ教えであります。

 解らせていただこう、味合わせていただこうとする心の中から読ませていただく、それがお経を読ませていただく真摯な心構えではないでしょうか。

 お電話ありがとうございました。担当は立教寺、千葉照映がさせていただきました。

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