2007年4月28日土曜日

寺族婦人会春の研修会



 2007年4月28日に、寺族婦人会の春の研修会が開催されました。
 24名が参加し、午前中は白浜瑞江さんを講師に、「伝わる話し方」をテーマに、講演を頂き、午後は昼食をかねて、かんたんな洋食のマナーを学びました。

2007年4月26日木曜日

総代会総会・研修会

 2007年4月26日、十勝組総代会総会・研修会が組内総代など40余名の参加のもと開催されました。 総会では役員改選が行われ、今江一良氏が会長に再任されました。 研修会には、鹿追町瓜幕浄教寺の池上恵龍氏をご講師として、「いま、浄土に生きる」というテーマで講演を頂きました。

2007年4月16日月曜日

「新しい春を迎えるにあたって」 清水町 妙覚寺 脇谷暁融

 ようこそ、浄土真宗本願寺派 十勝組[とかちそ]のテレホン法話におかけくださいました。

 今回は、わたくし清水町妙覚寺の脇谷が担当です。

 今年度も4月になり、一斉に新しい始まりを迎えました。入学や就職、それぞれのお宅でもお身内におられるのかもしれません。私たちの十勝組でも、組長[そちょう]をはじめ役員がそれぞれに変わり、新体制でのスタートを切ろうとしているさなかです。これから十勝に住まいする私たちに関わる大きな行事としました、今年の11月には帯広別院の100周年のお祝いの法要を迎えます。また2011(平成23)年の親鸞聖人750回大遠忌法要までの5年間、この新しい十勝組、帯広別院の顔ぶれでみなさまとともに念仏の歩みを進めたいと考えております。

 念仏のみ教えはこのように750年以上もの間、人々の、そして私たちの人生に大きくかかわるものとして、長い歴史を積み重ねてきました。先人の多大なご苦労は想像を絶するものがあり一口に表現することはできません。またそれは、一軒一軒の名もなき多くの人々によって、親から子へとそれぞれがそれぞれに伝えられてきたものでもあり、そのみ教えが、いよいよ私自身の人生において、今届いてきてくださっているのも事実です。その中で、私たち自身は今一度、阿弥陀如来の本当の願いをたしかに受け取って生かされているかを、たずねてみなくてはなりません。

 ありがたいことです。もったいないことです。と言葉に表わされてきましたが、何がありがたいのか、何をもったいないと言ってきたのか、本当の願いに聞き訪ねてみたことはあるでしょうか。ありがたいと言っている私自身が、ほかの人のことはどうでもいいこと、それは関係ないこととして、多くの人々のいのちをないがしろにし踏みにじって生きてはいないでしょうか。もったいないことと言いながら、自らの人生を深く顧みることなく、適当なところで開き直って生きてはいないでしょうか。

 浄土真宗のみ教えは、阿弥陀如来のみ名[みな]を称[とな]える念仏一つという世界から、自らをどこまでも掘り下げていくことで深く味わい、人のいのちを踏みにじり、自らに開き直ってきた私自身の姿が、あきらかにしらされていくことを信心といただいてきました。

 阿弥陀如来は、すべてのいのちはすべて平等にあってくださることを私の上に知らせています。しかし、私たち自身は平等、平等と言いながら、ほかかの人を差別し見下し、嫉妬や怨みを抱いて生きてきたのではないでしょうか。それが長い歴史の中で、教えを味わう中に含まれてしまっているとしたら、大変悲しいことになります。

 新しい春をみなが迎えるこの時期、私が味わってきた念仏ははたして、私の人生においてどうであったのか再確認してみる機会とも言えましょう。

2007年4月6日金曜日

仏教婦人会総会・一夜研



 2007年4月5~6日、十勝川温泉観月苑にて、十勝組仏教婦人会連絡協議会総会・一夜研修会が開催されました。 参加者210名のもと、総会では役員改選がなされ、新たなスタートを切ることになりました。一夜研では、釧路より八村弘英師をお迎えし、「老病死のいのちに学ぶ - ビハーラ活動15年の出遇い -」というテーマで講演をいただきました。

2007年4月1日日曜日

十勝組 組長 挨拶 白木幸久


 この度、2007年3月27日の臨時組会におきまして、組長に選出されました。振り返りますと、平成6年、梅原了圓(義教寺)ご住職が組長に就任して以来、前組長の桃井浩純(真光寺)ご住職が退任されるまで、3期13年にわたり、副組長として組の運営に携わってきました。
 今期は、平成23年度親鸞聖人750回大遠忌を迎えるまでの5年任期となっています。
 組内皆様方のお力添えを支えにしまして、任務を遂行していく覚悟ですので、よろしくお願い申し上げます。
 早速ですが、十勝組のテーマ『すべての寺院で僧侶・門信徒による取り組みを』めざして、「和合」と掲げさせていただきました。
 僧俗老若男女等それぞれの違いを尊重しつつ、喜怒哀楽を分かち合い乍ら、共に支え合っていきましょう。
 み教えをよりどころとして集う人たちが、共にかがやけるよう、各々できるところから実践していこうではありませんか。
合掌

十勝組 副組長 挨拶 御幸誓見


 謹啓

 慈光のもと、日々ご健勝にてご法義ご相続のこととお慶び申し上げます。
 さて、永く休止中でありました組報の発行を、伝道広報部の皆様のご尽力により企画して頂くこととなりましたこと、感謝とともにお慶び申し上げます。
 十勝組の活動、基推委の活動を、寺院、門信徒の皆様に広く知って頂くこととなり、それにより今まで一部のみの方の参加になりがちであった活動も更に広く深くなって頂けるのではないかと期待しています。僧侶、門信徒が一体となり、活気のある組織、行動の原点にと念じてご挨拶とさせて頂きます。

合掌

「一年を振り返って」 十勝組 副組長 千葉照映


 平成19年度より白木組長を中心に新しい教化活動がスタートした訳でありますが、初めて副組長(会計)という立場で関わりを持たせて頂き、この1年間つくづく先輩役員の皆様方のご苦労を思い知らされた事であります。前任者に何回何十回電話をかけた事か、戸惑うばかりの1年間でありました。
 正直、とんでもない役を受けてしまったもんだ!という思いでした。伝票整理に時間はかかるし、計算は合わなくなる。帳簿付けにも手間がかかる、落ち着いて酒も飲めやしない【まいったな~】。
 今、1年が過ぎ、パソコンのエクセルを初めて使っている自分に驚いております。機械が苦手で、ましてや伝票整理などした事もない私が組会で報告することまでこぎ着けることが出来ました。
 まいったまいったと愚痴を溢していた私でありますが、振り返って見て新しい事に挑戦するチャンスを与えて頂いていた事に気づかされた事であります。今は、自ら新しい事にチャレンジする事の苦手な私を後押しして頂いている思いでおります。
 与えられた任期、精一杯努めさせて頂きますので、ご指導賜りますようお願い申し上げます。

「副組長って、結構大変でーす、の巻」 十勝組 副組長 桃井直行


 近頃、年を取ったせいか時間が経つのがやたらと早く感じます。「最近、何か時間が経つのが早いねー。気がついたらもう半年たったもんねー。1年なんてアッという間だね」などと、おばちゃま達と適当に話を合わせていましたが、まさか自分がそのように感じる年齢になるとは……。昔は、特に学校に通ってる頃は、1時間の授業の長いこと。1日の、1年の長いこと。いつも思っていたことは、「早く休みにならないかなあ~」でした。
 つまらないときは、時間が経つのが遅いようです。人間、楽しい事だと時間が経つのを忘れるといいますが、もう一つ、忙しすぎるとアッという間に時は過ぎてゆきます。最近、何故だか色々な役職が私に廻ってきます。札幌にも一カ月に何度も通ってます。会議、研修会、勉強会、そして「大切な?飲み会」。結構大忙しです。
 そうそう、十勝組の副組長といっても私の仕事は庶務というより雑務です。各種会合等の案内状作成や、議事録、報告書の作成、配布物や資料の発送など「十勝組のなんでも屋」です。打って、刷って、折って、切って、詰めて、貼って、出して……ハイお疲れ様。これの繰り返しです。
 おかげさまで、皆様に支えられながら、正しくアッという間の1年間でした。今後とも私が生き長らえるように、皆様のご協力を宜しくお願い致します。

合掌

「あたたかな動きのあるお寺作りのために」 十勝組 相談員 高田芳行


 組内僧侶、寺族、門信徒の皆様には、日頃より十勝組基幹運動推進に深いご理解とご協力を頂き、厚く御礼申し上げます。
 基幹運動は、浄土真宗の教えに基づいた運動です。自らが教えに聞き、教えに生きる僧侶・寺族・門信徒になることをめざす運動です。お念仏を頂いている一人ひとりが、自らの生き方を問い、社会の人々の苦悩の現実に寄り添う運動でもあります。このことを再認識して、これからも「組」の実態を考えながら、共に相談し、合意し、協力し合って運動を進めていきましょう。お寺だけでは出来ないことでも、組内寺院が協力してアイデアや能力を結集することで、幅広く深い活動を展開することが出来ます。そこからお互いが新たな活力を貰い合い、お寺の活動を活性化させていきたいと思います。法座や研修会で学んだことを、一つでも行動に移し、あたたかな動きのあるお寺を作っていきましょう。

合掌

「十勝のお坊さんの一員として」 副相談員 石田智秀


 幼少時から家族や門徒さん方からは何となく「お寺の子」として育てられておりましたし、やがて自我が強くなってからも時に多少の反発はしつつ、心のどこかでは「寺院後継者」の心づもりをしておりました。
 とはいえ、お寺の運営に実質的に関わることの出来る年齢になってからも、お寺とは夏と冬の帰省時にのみ関わるような不作法な生活を15年間も続けておりました。
 しかし2005年の住職課程を最後に京都との縁もとうとう尽き、8月に十勝に戻って参りました。
 こちらの生活にもすこし慣れ、また、いわば試用期問中の布教使として道内を巡回させていただくようになり、少しは「十勝のお坊さん」っぽくなって来たかもしれないと思い始めた矢先の副相談員の任です。
 荷が勝ちすぎなのは仕方ありません。少しでもその名に追いつくよう精一杯励んで参ります。
 どうか、ご指導よろしくお願い致します。

合掌

「教区会におもむいて」 教区会僧侶議員 梅原了圓


 十勝の地にも日増しに春の訪れが感じられる頃となりました。
 私こと、昨年4月に教区会議員職を仰せつかってから早1年、各寺住職様を始め多くの方々からのお導きを賜りながら今日を迎えさせていただきました。心より御礼申し上げます。
 教区会におもむいて、組長時代とは責務の異なる立場より関わり思うことは、教区の各種事業に対しての内容を踏まえながらの予算・決算審議の難しさ、又、私どもに深く関わる各種区令の検討審議、そして、本山と教区、組、各寺院に関する案件、諸問題の対応審議等、あらためてその内容が多岐にわたり重要課題の多いことを痛感しております。その責務の重さに身が引き締まる思いです。
 現在、教区には各寺院に関わる本山および教区の賦課制度等の問題、過疎の間題、差別と平和の問題、そして、来る平成23年4月より「世のなか安穏なれ」のスローガンのもと修行される親鸞聖人750回大遠忌に向けての諸課題等、私ども宗門全体の基幹運動計画にも深く関わる諸問題が山積しております。
 今後とも、皆様のご指導ご指摘を頂きながら諸課題を学びつつ、組と連携のもと、教区に於いて発言していく所存です。教区の動きについても組会等を通じ、出来得る限りお伝えしてまいりたく思っております。これからもお導きの程、宜しくお願い申し上げます。

合掌

「今、思うこと」 教区会門徒議員 鳥本順司


 早いものですね、十勝組から選出されて北海道教区の議員になり2期目になります。1年に2回程会議がありますが何とか続けられております。
 会議の内容は、国・道・市町村の議会と同様で、予算・決算・人事・規約の改廃等が主で2月は親鸞聖人の750回大遠忌法要委員会の設立があり委員が決まりました。
 私達が信じる宗教は不変でありますが、現代のような科学文明の発達した時代になっても、私達の周囲には多くの迷信や俗信がはびこっています。占いやまじない、神がかりなど日本の各地で未だに人々の心を支配しており、そうした現象は無数といってよいほどあります。
 多くの人はそれを宗教だと思っていますし、そういう人々の気持ちを利用して不合理なことをいう宗教らしきものも後を絶ちません。
 日本人固有の宗教的心情は祖先崇拝であるといわれています。それは生まれつき天性に繋がるもので、どんなに文明が発達してもたやすく無くならないものだと思います。
 これは誰に教えられたものでなく、日本人として生まれたときからもっているからでしょう。仏教のような世界宗教といわれるものは、釈尊のような優れた宗教的境地に達した人が開かれたもので、その導きによって人々は生まれたときから持っている迷いから目覚めるのであって、その目覚めによって初めて私達は迷信や俗信から離れることが出来るものと思います。
 現代人は合理的な判断により誤った考え方を否定するのが普通ですが、ただそれだけでは迷信や俗信から解放されることは困難です。というのはそれが人間の生まれつきの心の在り方に結びついているからではないでしょうか。

合掌

十勝組 総代会 会長 今江一良


 みなさま、心豊かにお過ごしのこととお喜び申し上げます。この度、総代さま各位のご推挙を頂き再度重責を担うことになりましたが、組長さまを始め先輩諸氏より摂取心光を重ね本願を信じ、何よりも大切な人間同士のつながり(ご住職 - ご総代 - ご門徒)を大切にし、みなさまのお役に立てますように励んで参りたいと思います。

合掌

十勝組 仏教壮年会連絡協議会 会長 村瀬信義


 今年20周年を迎えた十勝組仏教壮年会の目的としているのは、相互の連携を密にして親睦を諮り、宗派の基幹運動の充実発展である。
 これをふまえ、来年の記念事業に向けて、未結成寺院への立ち上げの働きかけをし、仏教壮年として御同朋の社会をめざし、宗門の中核となり、共に歩んでいきたいと思っております。

合掌

十勝組 仏教婦人会連絡協議会 会長 藤本喜久子


 十勝組仏教婦人会連絡協議会も、昨年は節目の50周年を迎えることができました。
 仏婦会員の減少と役員のなり手が無いなどの悩みも多いことですが、これからも32カ寺の仏婦会員と話し合いをしながら朋[とも]に発展に努めたいと思います。

合掌

「心の鏡」 中札内村 眞光寺住職 桃井浩純

 私にとって一番大切なものは、と問われたならば、それは言うまでもなく、「私の命」と答えるでしょう。なぜなら、「私の命」は父母、兄弟、姉妹、夫婦等、誰もが代わることができず、そして二度とない人生を生きる命であるからこそ、一番大切であり、尊いのであると思います。

 そうしたかけがえのない命をいただきながら、そのことを日々確認もせず、吟味[ぎんみ]もせず、人と比べて安らかな思いのないまま今日に至ってはいないでしょうか? それは何故でしょうか。

 その因[もと]を尋ねれば、おそらく人間は、「いつもいつも」「幸せでありたい」「自分の思うがままに生きていきたい」という欲望が心の根底にあると言ってよいのではないかと思います。

 すなわち、むさぼり、いかり、おろかさです。悲しいことですが、自己中心的な考え方の表われだと思います。

 その結果はなかなか自分の思い通りには進みません。その時、自分にとって都合の悪いことは他人のせいにし、他人が薄情だなど、他人に責任転嫁をし、自分をふりかえることなく他人を批判してしまう傾向があるのではないでしょうか。

 他人のせい、他人が薄情だとみえるのも、その多くは自分の蒔[ま]いた種の証であるということに、気づきたいものですネ。

 善導大師[ぜんどうだいし]のお示しになったお言葉に、「経は教なり、また鏡なり」というのがあります。お経は教えであり、鏡であるということです。

 誰も代わることのできない命をいただき、二度とない人生を生きるからこそ、如来のみ教えを鏡として、その鏡に自分の姿を写し、ふりかえってみることが大切なのではないでしょうか。

 二十年ほど前、私が砂利道で自動車を運転中、「ゴトーン!」と音を立てて落ちてきたものがありました。慌てて車を止め、よくよく見ると、ルームミラーでした。ルームミラーがないと不安で落ち着いて運転できないものですね。ルームミラーで後ろを確認しながら運転するからこそ安心して走れるものだということを、身をもって体験しました。

 これと同じように、私たちの人生も、自分をしっかりと写し、照らし続けてくれる鏡を持つことが、生きていくうえに大事なことだと思います。