2007年8月1日水曜日

「「一寸先は闇」?」 音更町 妙法寺 石田智秀

 なまんだぶつ、なまんだぶつ。

 「一寸先は闇」と言います。そして、「この世は次の瞬間に何が起こるか分からないから、わたしたちは真実のなんまんだぶつに出遇っていただかなければ大変なことになっていた」と言ったりもします。

 先日、釧路にいたとき、ホテルで夕食後にサッカーの中継を見ていたら、TV画面に津波警報が流れました。「どこで地震があったんだろう? 大変だなあ」と思っていたら、「釧路・根室・オホーツク海側に、1メートルから2メートルの津波警報が出ました」ということでした。「地震がないのに津波が来るのか?」と思い、怖くなりました。

 あわててホテルのフロントに降りて行って「避難しなくて良いのですか?」と聞いてみましたら、「大丈夫ですよ。このホテルそのものが、この地域の避難場所に指定されているんです。お客さんの部屋は三階ですから大丈夫ですよ」というふうに言われて、安心して戻ったんであります。

 そして、その後で、やっと、他のことに気付くんであります。「今日お世話になったあのお寺は大丈夫だろうか? ああ、あそこは高台にある。‥‥じゃあ、明後日お世話になるあのお寺は大丈夫だろうか? ああ、あそこも大分内陸にあるから大丈夫だろう」などなど。

 「一寸先は闇」だから、それでわたくしたち、なんまんだぶつという真実の光に照らされる、そういう生活をすべきなんだ、と言うんでありますけれど、わたしは、自分の身の安全が確保されてそれで初めて、それから他の方の心配をしたのです。

 自分の安全が確保されてからでなければ、他の人のことが心配できない。その心のありようっていうのは、わたしの心そのものが、闇であって、「一寸先は闇」の世界を「闇」そのものが歩いているという姿なのではないかと思いました。

 「一寸先は闇」だから、お念仏に出遇っていただかなければいけないと言います。しかし、それだけではなく、闇が闇の中を歩いているのが、わたしのありようなのです。

 だから、お念仏に出遇っていただかなければならなかったのであります。
 出遇っていただいて、本当に良かった。
 あぶないところでした。

 では、失礼します。

 なまんだぶつ、なまんだぶつ。