2002年8月16日金曜日

「孟蘭盆会の法話」 帯広市 南豪寺 竹中偉晃

 孟蘭盆会[うらぼんえ]とは、『盂蘭盆経』[うらぼんきょう]というお経に由来します。インドの古い言葉、サンスクリットの「ウランバーナー」を、音写した文字が「盂蘭盆」[ウラボン]であります。「ウランバーナー」とは、「到懸」[とうけん]と訳されます。逆さまに吊された状態を意味します。5分間逆立ちをしますと、血液は足から頭に下がってしまいます。とても苦しい状態になります。

 『盂蘭盆経』には、このようなことが書かれております。あるときお釈迦さまの、弟子目連は公園で楽しげに、親子で遊ぶ鹿を目にしました。そのとき、すでに他界したお母さんのことを、思い出したのです。

 お母さんは、どんな世界に生まれたのか気がかりとなったのです。目連は神通力というすべてのものが見える力を備えておりましたのであらゆる世界を見回すと、なんと母は餓鬼道という苦しみの世界にいたのです。

 その姿は、骨と皮となり空腹のあまり手当たり次第に、飲食[おんじき]しようと手にしますがすべてのものを、口にしますと炎となって燃えてしまいます。

 目連は母に、ご飯・飲み物を手渡ししますがやはり炎となって、お母さんの空腹を満たすことは、出来ないのです。

 目連は、大変嘆かれてこのことを、お釈迦さまに、ご相談しました。するとお釈迦さまは

 「目連よ。母を救うには、7月15日(註:「自恣」(じし)の日)は、僧侶の修行の反省する日で大勢の僧侶が集まります。その日に大きなお盆に、百味の飲食を、たくさん用意して、ご供養をしなさい」

と、目連にお話ししたのです。

 目連は言われたとおり多くの僧侶に、布施の行をすることによって、母が救われたことが説かれております。

 何故目連の母が地獄の苦しみの世界に生まれたのでしょうか。それは、他の子どもはどうであろうとも自分の子どもだけに溺愛したからです。

 そして、目連の母が地獄の苦しみの世界に、生まれることによって、我が子である目連に救いを、明らかにしたと受けとれます。

 お盆の行事は、単に先祖の追善供養をすることをいただくのではなく、私自身が阿弥陀さまの救いの声に、耳傾けることの大切さと知らされることであります。

 阿弥陀さまは、常にこの私を救いたいと、称えやすく信じやすい「南無阿弥陀仏」[なもあみだぶつ])と、名号にしてくださったのです。

 仏の呼び声は、この私がいついかなるところで悲しんでいようとも一人ぼっちでは、ありませんよ。いつもあなたと、ご一緒ですと、お呼びかけになってくださる声となったお念仏であります。

 このご縁に、先祖のことを、思い出すことは、大切なことであります。

 浄土真宗のご門徒は、お念仏のおいわれをお聞かせいただくこと、聴聞[ちょうもん]の肝要であることをあらためて知らされることであります。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。