2003年8月1日金曜日

「みえぬもの」 忠類村(幕別町) 東光寺 豊田信之

 大正の頃、金子みすゞという童謡詩人がおられました。

 金子みすゞは、昭和5年、26才の若さで亡くなっていますが、有名な詩人、西条八十[さいじょうやそ]先生から、「若き童謡詩人の巨星」とまで称讃されています。

 その詩の一つ、『私と小鳥と鈴』という詩は、

 わたしが両手をひろげても、
 お空はちっともとべないが、
 とべる小鳥はわたしのように、
 地面[じべた]をはやくは走れない。

 わたしがからだをゆすっても、
 きれいな音はでないけど、
 あの鳴るすずはわたしのように
 たくさんのうたは知らないよ。

 すずと、小鳥と、それからわたし、
 みんなちがって、みんないい。


とうたっています。いまひとつ、『星』という詩には、

 青いお空のそこふかく
 海の小石のそのように
 夜がくるまでしずんでる
 昼のお星は目に見えぬ
 見えぬけれどもあるんだよ
 見えぬものでもあるんだよ


とあります。

 こうした詩に、作者の、ものに対する思いの深さ、心のやさしさを感じます。

 金子みすゞの童謡は、小さいもの、力の弱いもの、名もないもの、あたりまえと思われるものの中に、尊いものをとらえて詠んでいます。「みんな違ってみんないい」のことばに優しい思いが伝わってきますし、「昼のお星は目に見えぬ/見えぬけれどもあるんだよ/見えぬものでもあるんだよ」と詠んでいることばにも、尊い心のひびきがあります。

 私たちは目にみえぬものはないと思いがちです。しかし、私たちの目は、真っ暗闇の中では何も見えません。光をいただいてはじめて見えるのです。目が見えるのも光のおかげです。

 仏さま、仏さまのお慈悲というものも、目には見えないものです。しかし、目にみえないものはないのではなく、見えぬものでもあるのです。「おかげさまで」とよろこんで、「ありがとうございます」と仏さまのお慈悲の光のうちにある身をみつめつつ、限りある命を精一杯、日々あゆませていただきたいものです。

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