2004年2月1日日曜日

「耳をすまして‥‥」 足寄町 照経寺 鷲岡康照

 人間の顔には、「食べる」・「話す」という二つの役目がある口が一つ、そしてただ「聞く」という一つの役目をはたす耳は二つ付いています。反対の方が合理的のようにも思いますが、西洋の哲学者の説によると、「話す倍ほど、聞きなさい」と、神さまがそのように人間を作られたそうです。ですが、ついつい「聞く倍ほど、話す」、つまり、自分の主張を通すことばかりを願うのが私です。

 大海原をゆく船にとって、大切なものの一つに、無線による通信があります。ところが、その大切な無線を一時間に二回ほど、三分間ずつ、すべての船が一斉に中断するということが、電波法で定められていたそうです。その理由は、小さな船が遭難して発信しているかもしれない「SOS」、つまり「助けてください!」という電波を聞き漏らさないためだそうです。

 今、出力の小さい電波で、必死に助けを求めている船があるかもしれない‥‥。
 だから、世界中の大きな船も小さな船も、みんながピタッと通信を止めて耳を傾けている‥‥。

 なんだか、想像しただけで胸が熱く、嬉しくなりました。

 ところが、ふと現実に目を向ければ、朝から晩まで自分の思いを発信するばかりの、我[が]を通そうとするばかりの自分がありました。

 それならば、船のように三十分ごとでなくとも、せめて一日に一度、発信器のスイッチを切ってみたいものです。そうすれば、聞き漏らしていた大切な声が聞こえてくるかもしれません。

 仏さまの前に座り、静かに手を合わせる時を持たせていただくのは、「心の無線機」を停止するための貴重なひとときなのかもしれません。

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