2004年1月16日金曜日

「挨拶の意味」 広尾町 光音寺 頼田 享

 今回のテレホン法話は、挨拶[あいさつ]について、私ともども考えてみたいと思います。

 私たちは日々朝から晩まで、会う人々に挨拶をします。でも挨拶は何のためにするのか、どうしてしなければならないのか、知る人は少ないように思うのです。

 辞典で見ますと、「人と会った時の儀礼的な言葉や動作」と書いてあります。でも私は挨拶を、別のことだと思うのです。それは、顔を見たり、人々を見たり、その人々に対して、命を認めることだと思うのです。

 先日、家の娘が、「お父さん、挨拶って何のためにするの?」と聞いてきました。私は「学校の先生は何と言ったか?」と聞きますと、辞典の通りの答えでした。

 でもお念仏の命を見ていく考えからすると、命の確認だと思うのです。

 子どもが朝、学校へ行くときに「行ってきます」。親が「行ってらっしゃい」。これは《子どもが無事に学校へ行ったな》と親が安心することです。学校から帰ってくると、「ただいま」。親は「お帰り」と挨拶をして、親も子もともに無事を確認するのです。

 近年、子どもに対する事件が多発していますが、まず家族や仕事場で、挨拶を、命を見ていく時だと思うのです。