2005年3月16日水曜日

「お経をいただくご縁」 清水町 寿光寺 増山誓史

 今年も春の彼岸の時節となりました。暑さ寒さも彼岸までと申しますが、日中の日ざしも段々と暖かくなってまいりました。今年は、3月20日が春分の日にあたり前後3日間の17日から23日が春のお彼岸の期聞となります。

 多くの方にお参りをいただき、納骨堂やお墓で手を合わせていただくことでございます。お寺に参られた方に、「お経をあげてください」といわれ、お中日には五人も六人もお待ちいただくようなこともございます。お経が終わると「よかった、よかった、これで安心した。」とおっしゃいます。亡き方を偲ぴ手を合わせることは、とても尊い事でございます。小さな子供さんが手を合わせている姿を見ると、特にその思いが伝わってまいります。

 しかし、お経をあげ、お骨に手を合わせる。それだけでいいのでしょうか。

 お経をあげると申しますが、お経は亡き方のためにあげるものなのでしょうか。

 お経はお釈迦様の御説法です。その内容はと申しますと、人間として生まれさせていただいた、かけがえのない命を、いかにして精一杯に生かさせていただいたらいいのか? という問いかけに、お釈迦様がお答えを示された内容がお経なのです。生きることに悩んだり苦しんだりしておられる方々への御説法ですから、亡き方にあげるというのではなく、今まさに生きているこの私がいただいていくものなのでございます。

 あらゆるものは、その姿を変えながら移ろい、変わらないものなど何ひとつないのだとお示しいただいた娑婆世界に生かされているこの私。頼りにならないものを頼りにし、あてにならないものをあてにして、あっちへふらふら、こっちへふらふらと迷いながら生きております。決して変わることのない真実は仏法であり悟りの世界であり彼岸でござます。永遠の命である阿弥陀仏から願われているこの私。生まれがたき、人間の命を恵まれ、会いがたき、仏法にあわせていただいた喜ぴを、亡き方をとおし、今現在生きているこの私の命のありようを間いかけながら、お経のご縁をいただかせてまいりたいと思うことでございます。

2005年3月1日火曜日

「度衆生のこゝろ」 大樹町 誓願寺 頓宮彰玄

 親鸞聖人のご和讃に
 願作仏[がんさぶつ]の心はこれ
  度衆生[どしゅじょう]のこゝろなり
  度衆生の心はこれ
  利他真実[りたしんじつ]の信心[しんじん]なり

というお示しがあります。賜[たまわ]りたるご信心の内容を“願作仏心・度衆生心”とされ、念仏者として社会の問題に取り組んでゆく依り処となるご文[もん]でもあり、近年重要なご文だと言われております。

 特に「度衆生のこゝろ」とは、あらゆる命を救わずにはおかない心、更には命の痛み、苦しみを私の問題と頂いてゆく、ということでありましょう。

 大学時代、西元宗助先生が、ある時、こうおっしゃっておりました。

 「今日は皆さんにお願いがある。皆さんが京都の学びを終えて、各々のお寺へ帰ってゆく時が来ると思うが、そこにはおじいちゃんおばあちゃんやら、多くのご門徒がいらっしゃると思う。その一人ひとりは何十年シャバをいいも悪いも含めて様々な思いをしながら、その思いを命の奥底に秘めて生きている。
 表面に出てくる言動だけ見ていると、浄土真宗の教えからするとどうかなと思うことがあるかもしれない。でもそれを頭ごなしに裁く前に、そう言わずに、そうせずにおれないその命の奥底の思いをたずねてほしい。そして、その思いとともに寄りそってゆく、そういう人になってほしい。そこに本当のお念仏の道、姿があるんだ」

と。

 逆に、「学んできた、身につけてきたことを、正しい教えを握りしめて、それを振りかざして、人様を見下して裁いてゆく、そういう人にならないでほしい」、そういう意味のお話がありました。

 それからもう、20年近い年月が経ちました。西元先生が亡くなって、十数年になりますが、今でも日々そのお言葉に秘められたお心に気づかされ、教えられることが多くあります。

 ご信心に込められた“度衆生の心”、それは命の奥底をたずね、その思いとともに寄りそってゆくこと、「川に沿って岸がある、私に沿って本願がある、どうにもラチのあかない私に沿って本願がある」と言われ、「お念仏は寄り添うて下さる如来さま」と言います。

 「度衆生の心」と合わせて、信を賜って生きる念仏者の相[すがた]として味合わせて頂きましょう。