正しい心の統一についてお話をさせていただきます。
なぜ心の統一が必要なのでしょうか。昔から「水は方円の器にしたがう」といいます。円型の入れ物に水を入れますと水も円型です。四角い入れ物に水を移しかえますと、今度も水も四角い型になります。人間の心も同じことで、周囲の状況次第で心は美しくもなりますし、汚れもします。他からの影響をうけやすいのが心です。
あなたが相手に対して、心にほほえみをもって接したら、相手の人もあなたに好意を持ちますし、あなたが、心に怒りを抱いて接したら、相手の人も不快感を抱きます。
どんな小さなことであろうと、他人がしてくれたことにあなたが感謝の気持ちをもったら、相手の人もよろこびを感じます。
このように、自分の心も相手の心も同じように変わってゆくものです。一日にどれほど心が変わってゆくでしょうか。少しもじっとしていません。心に落ち着きがありませんから、不安になったり、どうしたらよいのか迷ったりするのです。そして真の安らぎが少しもありません。
ですから、真の安らぎを得るために正しく心を統一することが必要なのです。いわゆる精神統一です。精神統一をして、静かな心で仏のことをおもったり、無常の道理を考えたりしますと、心が純粋になり、正しい智慧を得ることができるからです。
日常生活でも、心を静め、精神を集中することは大切なことです。そうすることによって物事を的確に判断することができますし、仕事などにも専念することができます。欲望にふりまわされて身をもちくずすことがなくなります。
明鏡止水[めいきょうしすい]といいます。曇りのない鏡のように、澄みきった水面[みなも]のように、心を平静[へいせい]にすることをいいます。
また無念無想[むねんむそう]といいます。野球の選手が集中力を養うために禅の道場で座禅をした話を新聞で見たことがあります。150キロの猛スピードの小さな球が目の前を通るとき、一瞬の間にそれを打ち返さなくてはなりません。まさに真剣勝負です。そのためには集中力が必要です。集中力を養うために座禅で心をきたえたのです。
このように、心を静めて集中した状態を仏教では「三昧」[さんまい]といいます。一心不乱に読書することを読書三昧といいます。俳句や囲碁を楽しむことを道楽三昧といいます。読書によって心を落ち着かすことができますし、俳句や囲碁を楽しむことによって心に安らぎができてきます。
ところが、本当に心の落ち着く方法は仏の教えを聞くことです。
仏の教えを聞くと、自然に自己をふりかえって日暮らしをするようになりますし、他人の迷惑になることは少しでもつつしんで、他人に喜ばれるようなことをするように心がけます。欲望に振り回されて生きてきた私が、むしろ欲望をコントロールして、その欲望をよい方向に転化していくようになります。
正しい心の統一をあなたも試みてください。