2002年12月1日日曜日

「「あたりまえ」のなかに・・・」 足寄町 照経寺 鷲岡康照

 師走に入り、だんだんと慌ただしくなってまいりました。

 「慌ただしい」という字は「りっしんべん(心)」に「荒れる」という字でできています。

 「りっしんべん(心)」に「亡びる」という字を並べると「忙しい」という字になりますし、「心」を下に書くと「忘れる」という字になります。

 「忙しい、忙しい」の生活は、大切なものを荒らし、亡ぼし、忘れさせている生活です。こういうときほど、静かに自分を見つめ、一年を振り返ることが大切なのではないでしょうか。

 井村和清氏は前途を嘱望された若い医師でしたが、右膝に悪性腫瘍[しゅよう]が発症し、残り少ない生であると知らされます。彼は、この世で迎える最後になるであろう昭和54年の正月に、家族への新年の贈り物として「あたりまえ」という詩を残されています。

 あたりまえ
 こんなすばらしいことを
 みんなはなぜよろこばないのでしょう
 あたりまえであることを
 お父さんがいる
 お母さんがいる
 手が二本あって、足が二本ある
 行きたいところへ自分で歩いてゆける
 手をのばせばなんでもとれる
 音がきこえて声がでる
 こんなしあわせはあるでしょうか
 しかし、だれもそれをよろこばない
 あたりまえだ、と笑ってすます
 食事がたべられる
 夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
 空気をむねいっぱいにすえる
 笑える、泣ける、叫ぶこともできる
 走りまわれる
 みんなあたりまえのこと
 こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
 そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
 なぜでしょう
 あたりまえ


 仏さまの光に照らされて、あたりまえじゃなかった、「有り難い・おかげさまの人生」であったと知らされるのではないでしょうか。

2002年11月16日土曜日

「人生の年輪」 新得町 立教寺 千葉照映

 ようこそお電話くださいました。

 樹木というものには必ず年輪があります。大きな木を切ってみるとわかりますように何本もの筋が入っています。それが年輪でありますが、一年一年と確実に刻まれており、確実に太い木へと成長を遂げているのであります。

 これと同じように人間の年齢というのも、年輪と考えて良いのではないでしょうか。

 一日一日の暮らしの積み重ねが人間としての年輪となって刻まれていくのであります。

 さて、私たちはこの木と同じように人間として確実に成長しているでしょうか。

 私は、人間としての本当の成長を見るのは、仏法に遇っているかいないか、聞くべきことを聞き、遇うべきものに遇っているかどいうことだと思うのであります。

 その聞くべきこと、遇うべきものというのが問題になるのであります。

 親鸞聖人の書かれたお書物の中に「東夏[とうか]日域[じちいき]の師釈に遇い難くして今遇うことを得たり、聞き難くして已[すで]に聞くことを得たり、真宗の教行証を敬信して特[こと]に如来の恩徳[おんどく]深きことを知んぬ、ここをもって聞く所を慶[よろこ]び獲[う]るところを嘆ずるなりと」とお示しくださいました。

 親鸞聖人の生涯にとって最大の喜びは恩師・法然上人[ほうねんしょうにん]に遇えたこと、そしてその法然上人よりお聞かせにあずかった、南無阿弥陀仏のおいわれ、すなわち「必ず汝を救う」と誓われた阿弥陀如来さまのお呼び声を聞くことができたことだったのであります。

 私たちはとかくつまらぬことを聞き、つまらぬものに遇い、それを喜びとしてしまいがちでありますが、本来聞かなければならないこと、遇わなければならないものに出遇わなければなりません。

 それが、仏法であってこそ初めて人間として確かに年輪を刻むことのできた、実りある豊かな人生、と言うことができるのではないでしょうか。

 またのお電話をお待ち致しております。ありがとうございました。

2002年10月1日火曜日

「じっと一緒にいるということ」 音更町 妙法寺 石田秀誠

 先日、高等学校の同期会が帯広のホテルであったのに久しぶりに参加しました。

 同期会・クラス会は良いものです。お互い年齢もごまかせませんし、何十年前はああだったのに、今の澄まし顔を見ますとふきだしてしまいそうなこともあります。その多くの思い出は時効になっているのですが、案外根にもってひきずっていることもあったりします。

 そうした友人たちの中で、感心する彼がいます。学生の時は決して特別目立つ存在でなかったのですが、今ではクラス会には無くてはならない存在なのです。

 彼は今でこそ落ち着いているのですが、よく仕事も変わりました。ある時は「会社員」、ある時は「公務員」、またある時は「施設職員」、「不動産屋さん」など‥‥。「今何しているの」と尋ねるのが常でしたが、本人はいっこうに気にしていないのです。

 彼はじつに「ひょうひょうとしている」のです。こだわりがないのです。特別なことはなにもしない、自然体なのですね。そして面倒見がよのです。面倒見といってもなにも特別に経済的な援助をするということではないのですが、困ったことが起きるとまず顔を見に行くのだそうです。それが一番なのですね。何も言うことはない。じっと一緒にいること、その大変な気持ちの「つらさ」「悲しさ」を共感するだけ。

 こんなことが、度重なって、いつの間にか、頼れる彼に変身していたのです。

 彼はいつの間にか、仏教で言う「無罪七施」[むざいのしちせ]の中の、「和顔愛語」[わげんあいご]の実践者になっていたのです。

 すごいなあと、こちらの気持ちも言ってみました。

 こだわりのない生き方、実に良いねえ! と言いますと、「俺にも悩みはあるさ」「俺だって感じるんだ!!」と言います。人間です。生きているのです。当たり前のことです。でもそう言いながらもなおひょうひょうとしています。

 いま、同期のみんなが、定年だ再就職だと悪戦苦闘しているのをしりめに、やっぱりゆうゆうとしているのです。揺るぎない信念とでもいいましょうか。

 うーん、‥‥参ったなあ、‥‥阿弥陀さんだなと言ったとこです。

 さて、阿弥陀さまはいつも私と一緒にいてくださるとお聞かせくださっております。本当に辛い時に私と一緒に悩み、苦しみ、悲しんでくださるのです。

 相田みつをさんの詩にこのようなのがあります。

 誰にだってあるんだよ
 人には言えない苦しみが
 誰にだってあるんだよ
 人には言えない悲しみが
 ただだまっているだけなんだよ
 言えば愚痴になるから


 辛い時に、ちょっともらした一言がずっと尾を引くこともありますし、同情が憐れみになってしまうことさえもあります。

 本当はその愚痴を聞いてほしいのです。愚痴を聞いてもらえたら安心できるのです。阿弥陀さまの前では物わかりのいい良い子になることはないのです。思いきって愚痴りましょう。

 この詩を、私は、阿弥陀さまに思いっきり聞いてもらいなさいと言ってくださっているんだろうと、読ませていただいております。

2002年9月16日月曜日

「かけがえのないいのち」 芽室町 願恵寺 藤原 昇

 今年の8月5日(月)に、願恵寺 仏教子ども会をさせていただきました。そのときに、私の子どもも含めて14人の子どもを前に、お話をしました。

 話をする前に、大きな紙に

 青色青光[しょうしきしょうこう]
 黄色黄光[おうしきおうこう]
 赤色赤光[しゃくしきしゃっこう]
 白色白光[びゃくしきびゃっこう]


 と、漢字と、その読みがなを書いて、全員が見える場所に貼りました。その後で話を始めました。

 『仏説阿弥陀経』[ぶっせつ あみだきょう]というお経のなかに、「青色青光[しょうしきしょうこう]黄色黄光[おうしきおうこう]赤色赤光[しゃくしきしゃっこう]白色白光[びゃくしきびゃっこう]」ということばがあります。これは「阿弥陀さまのお浄土には蓮[はす]の花があり、青い色には青い光、黄色い色には黄色い光、赤い花には赤い光、白い花には白い光が、それぞれに放たれており、みんな違う色のままにかがやいています」という意味です。

 お釈迦さまは、阿弥陀さまのお浄土には、青い色には青い光、黄色い色には黄色い光、赤い花には赤い光、白い花には白い光があるとおっしゃるのです。

 そして、どんな色でも、良いとか悪いとかはなく、すべてがそのままで、みな美しくかがやかせる光で、いま私たちのところに「なもあみだぶつ」と、とどいていると説かれるのです。

 皆さんは、あの子は背が低いだとか、太ってるだとか、頭が悪いなどといってばかにしたり、反対に背が高く、頭が良くて足が速い人をうらやましがったりすることをしてはいませんか?

 背の低い人も高い人も、やせた人ふとった人、勉強のできる人できない人、足の速い人おそい人、ほんとうはそれぞれが、それぞれのままにみんな輝いているのです。

 皆さんは、ひとりひとりが、入れ替えたり交換したりすることの出来ない、かけがえのないいのち、すばらしい いのちを生きているのです。

 阿弥陀さまは「なもあみだぶつ」という言葉になって、いつも私たちに

 「あなたは あなたのままで いいんだよ、安心して一生懸命あなたの命を生きなさい。私がいつも見守っているからね」

 と、やさしく言ってくださっているのです。

 今日ここに来てくれたみなさん、これからも、かけがえのないいのち、すばらしい いのちを生きていってください。

 これから最後に、金子みすゞという人の詩を読みますので、静かに聞いてください。
 (と言い、次の詩を二度繰り返して読みました。)

  私が両手をひろげても
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べる小鳥は私のように、
  地面(じべた)を速くは走れない。

  私がからだをゆすっても、
  きれいな音は出ないけど、
  あの鳴る鈴は私のように
  たくさんな唄は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。


 この後、子どもたちは皆元気に帰っていきました。

 子どもたちばかりではなく、皆さん一人一人が、これからも、かけがえのないいのち、すばらしい、いのちを生きていってください。そしてお念仏する日々をお過ごしください。

2002年9月1日日曜日

「お彼岸に、今一度自分自身を問う。」 清水町 妙覚寺 脇谷暁融

 あっという間に夏が過ぎ去って行き、すでに9月。まもなく秋のお彼岸を迎えるような時季になりました。今年の夏は気温の上がり下がりが多く、健康などの気遣いが多い時季でもありました。皆さんはお変わりないでしょうか。

 時季ながら「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、にわかに夕方の暮れなずむ時間が早くなりました。お彼岸は「おさとり」の「彼[か]の岸」と書いて「ひがん」と読ませます。つまり、こちら側に立って向こう岸を示した表現、おさとりの世界、お浄土の世界を示します。

 お彼岸の行事は、日本独特のものですが、昔の人々が、日々生活に追われる慌ただしい中から、自分を振り返り、省みることのできない私自身を心配して、この「いのち」について考え、「私」とは何かを問う大きな機会を作ってくださるのが、お彼岸の間に参らせていただく最も大事なご縁です。

 「食べものの味も、仏縁も、若いときに味わっておくと、年をとってから帰ってくるもの」という味わいを語ってれた方がおられました。それはまさに、当を得た表現ではないでしょうか。仏法を通して、ご法座に参らせていただくことは、やがて人生の孤独や虚しさを超えて、真実の楽しみや心のうるおいや味わい、私自身の姿やありようを、必ず示してくださるにちがいありません。

 「今日の一日よりも若い日はない」と理屈では十分わかっていながら、なかなかできない私がここにいます。自分にとっていちばん若い日、それが今日という日であるという事実に、きちんと納得ができるならば、仏法を聞きたく思う「今日」、「いま」こそが「旬」であり、若いときとも言えるのではないでしょうか。

 私たちは、お彼岸を通して、届けられている阿弥陀如来の呼び声に、一度耳を研ぎ澄ませ、共々によろこびをもって「今」を生きて抜いていきたいものです。

 今一度、自らを南無阿弥陀仏のお念仏によって問うていく暮らしでなければなりません。

2002年8月16日金曜日

「孟蘭盆会の法話」 帯広市 南豪寺 竹中偉晃

 孟蘭盆会[うらぼんえ]とは、『盂蘭盆経』[うらぼんきょう]というお経に由来します。インドの古い言葉、サンスクリットの「ウランバーナー」を、音写した文字が「盂蘭盆」[ウラボン]であります。「ウランバーナー」とは、「到懸」[とうけん]と訳されます。逆さまに吊された状態を意味します。5分間逆立ちをしますと、血液は足から頭に下がってしまいます。とても苦しい状態になります。

 『盂蘭盆経』には、このようなことが書かれております。あるときお釈迦さまの、弟子目連は公園で楽しげに、親子で遊ぶ鹿を目にしました。そのとき、すでに他界したお母さんのことを、思い出したのです。

 お母さんは、どんな世界に生まれたのか気がかりとなったのです。目連は神通力というすべてのものが見える力を備えておりましたのであらゆる世界を見回すと、なんと母は餓鬼道という苦しみの世界にいたのです。

 その姿は、骨と皮となり空腹のあまり手当たり次第に、飲食[おんじき]しようと手にしますがすべてのものを、口にしますと炎となって燃えてしまいます。

 目連は母に、ご飯・飲み物を手渡ししますがやはり炎となって、お母さんの空腹を満たすことは、出来ないのです。

 目連は、大変嘆かれてこのことを、お釈迦さまに、ご相談しました。するとお釈迦さまは

 「目連よ。母を救うには、7月15日(註:「自恣」(じし)の日)は、僧侶の修行の反省する日で大勢の僧侶が集まります。その日に大きなお盆に、百味の飲食を、たくさん用意して、ご供養をしなさい」

と、目連にお話ししたのです。

 目連は言われたとおり多くの僧侶に、布施の行をすることによって、母が救われたことが説かれております。

 何故目連の母が地獄の苦しみの世界に生まれたのでしょうか。それは、他の子どもはどうであろうとも自分の子どもだけに溺愛したからです。

 そして、目連の母が地獄の苦しみの世界に、生まれることによって、我が子である目連に救いを、明らかにしたと受けとれます。

 お盆の行事は、単に先祖の追善供養をすることをいただくのではなく、私自身が阿弥陀さまの救いの声に、耳傾けることの大切さと知らされることであります。

 阿弥陀さまは、常にこの私を救いたいと、称えやすく信じやすい「南無阿弥陀仏」[なもあみだぶつ])と、名号にしてくださったのです。

 仏の呼び声は、この私がいついかなるところで悲しんでいようとも一人ぼっちでは、ありませんよ。いつもあなたと、ご一緒ですと、お呼びかけになってくださる声となったお念仏であります。

 このご縁に、先祖のことを、思い出すことは、大切なことであります。

 浄土真宗のご門徒は、お念仏のおいわれをお聞かせいただくこと、聴聞[ちょうもん]の肝要であることをあらためて知らされることであります。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

2002年7月16日火曜日

「恩を知る」 音更町 西然寺 白木幸久

 今年の桜は例年になく早かっただけに、遅い霜には、びっくりさせられました。農家の人の「思うようにいかないものだ」という、つぶやきが痛いようにわかる今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 すでに、マスコミで報道されていますので、お聞きになっていると思いますが、先の本願寺のご住職であり、浄土真宗本願寺派の教団を統裁されておりました、前門[ぜんもん]さまが、6月14日午後1時16分、ご遷化[せんげ]されました。

 前門さまは明治44年のお生まれです。15歳のとき、ご開祖の親鸞聖人から数えて第23代目のご門主に就任されていらい、昭和52年65歳で退任されるまでの50年、という長い間、激動の時代に、宗門はもとより、わが国仏教界のリーダーとして先頭にお立ちになり、私たち仏教徒をお導きいただきました。また、英語やドイツ語にも堪能でして、海外にもお念仏のみ教えを広げられ、同時に、世界の宗教界においても、仏教の代表としてご活躍なされました。

 帯広・十勝にも何度かお越しいただいていますが、最後のご訪問は昭和62年、帯広別院創立80周年記念のご法要ということになります。そのご法要に参拝された方もおられるかと思いますが、本当に温かな眼差しが印象的で、温容なお人柄が忘れられません。ここに、満90歳のご生涯を閉じられましたが、宗祖親鸞聖人のお念仏のみ教えを伝えていただきましたことに、深く御恩を偲ばせていただきましょう。

 さて、上人[しょうにん]の御恩をはじめ、御恩を偲ばせていただくには、「恩を知る人」に育っていかなければなりません。「恩を知る人」という語源は、パーリー語で「カタンニュー」と言うのですが、その意味は「なされたことを知る人」ということです。なされたことを知らなければ、恩という気持ちがわくはずもありません。「子を持って知る親の恩」のことわざのように、子育ての苦労をしてみてはじめて、自分を育ててくれた親のありがたさや、親が注いでくれた愛情の深さがわかる人になっていくのです。

 生老病死は、いのちあるものにとって、避けることはできません。どうすることもできないとわかっていながら、それでもどうにかならないだろうかと案ずるところから、人の苦しみは始まります。その苦しみがあるからこそ、それをご縁として、み仏さまの大きなお慈悲を感じ、知ることができるのです。

 仏さまは一時も休まず、私どもにみ光を注ぎ続けて見守ってくださっています。そのお救いの中で、前向きに生きていこうではありませんか。

 親鸞聖人の「恩徳讃」[おんどくさん]というご和讃[わさん]では、「仏さまの恩徳には身を粉にしてでも報じなさい、仏さまのみ教えを伝えてくださった人の恩徳には、骨を砕いてでも謝しなさい。」とうたっていますが、御恩をかみしめ、感謝しながら生きていきましょう。

2002年7月1日月曜日

「共々の歩みを み教えの中に と願い」 幕別町 義教寺 梅原了圓

 浄土真宗のみ教えに出遇うご縁をいただいた私たち一人一人は、このご縁を自ら大切にし、そのお心をいただくなか、与えられしいのちを大切にし、社会を共に歩みたいと願うものです。この「願い」に対し、み教え[みおしえ]との出遇いをどのようにいただいたらよいのでしょうか。

 私ども、仏教との出遇いの中、そのお心をいただくことの大切さをよく示されますが、現実に自らの歩みの中、そのことと向かいあう時、その難しさに直面いたします。「そのうちに、そのうちに」と時を過ごし、私の心に常に働いている自己を中心とした自我に左右され、悩まずにおられません。その道をご開山[かいさん]聖人[しょうにん]の歩みの中に尋ねてみたく思います。

 そのご生涯に思いをいたす時、自ら求める中、お念仏のみ教えに出遇われ、そのご生涯を通じて常にみ教えに「問い、聞き、味わい」そして、私どもに「語られた」ことであります。自らの欲望と葛藤に沈む自我の心を悲歎し、そのような自分が救われていく道はと求められる中、み教えに出遇われたことを心から歓ばれ、その歓びを多くの友に伝えられたご生涯であったと偲ばれます。

 そのお姿を偲ぶ時、まず大切なのは「問い」であることに気づかされます。人生のさまざまな悩み、迷いの中に身をおき、沈める自らの姿にあって、絶えず「問い」を深められた方と偲ばせていただくものです。真実のみ教え、すなわち、お念仏のみ教えに出遇われる中、法によって明らかにされた自身を、日々、その一歩一歩の歩みに省[かえり]みる歩みをされた方であったと味わうものです。

 「問う」ことの大切さ、「問いを深める」ことの大切さをそのご生涯は示してくださっています。「問い、聞き、味わい、語る」ということの全ては、実に「問いの深さ」であることをそのご生涯は教えてくださっているうように思います。自らの「問い」を仏法に問うことを通してみ教えのお心に遇い、また、法を求めて生きる方々にご自身の味わいと如来さまのお心を伝えられることに、そのご生涯を過ごされています。そのお姿は、自らの味わい、喜びを語られ、さらなる広がりをもって共々の歩みを深められていっています。

 お正信偈[しょうしんげ]の中にも示される七高僧のお一人である善導大師[ぜんどうだいし]は、『観経疏』[かんぎょうしょ]の中でその道を求めるにあたって、「各々[おのおの]が単独に真実を求めても成就し難い。人々と友に強い求道心[ぐどうしん]を発[おこ]して真実に至れ」と、その趣意を述べられています。

 私たちは、この時代に生きるご縁をいただいた一人一人です。詩人・坂村真民師の「めぐりあいの ふしぎに てをあわせよう」の詩にもあるように、このかけがえのない大切ないのち、人生であることに目覚め、共々に道を求めるなか、共に生きぬく社会を目指して歩みを進めたく願うものです。

合掌

2002年6月1日土曜日

「お念仏は、何のため、誰のため。」 清水町 妙覚寺 脇谷暁融

 今年は春の訪れがとても早く、少し忙しい思いの中、農作業や庭の手入れに取りかかったのではないでしょうか。あるいは季節が落ちつくまで、健康などの気遣いが多い時期でもあります。皆さんはお変わりないでしょうか。

 時期ながら、各総会なども終わり、私たちの十勝の本願寺派のお寺約40と帯広別院の協力により、テレホン法話も長い時期活動を続けられており、今年も引き続いて皆さまのお世話になることと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 5~6月、管内のお寺では、親鸞聖人のお誕生日をお祝いする「降誕会[ごうたんえ]法要[ほうよう]」が各地で勤まりました。私たちの宗派をお開きいただいた親鸞聖人は今から800年近く前の鎌倉時代に、阿弥陀如来の真実を明らかにされ、お念仏とともに90歳まで生き抜かれた人生を私たちに示してくださいました。

 そのお念仏によって示された私たち自身のありようを、現在のご門主は「自分だけの殻に閉じこもらず、自分自身がつくりかえられ、人々の苦しみに共感し、積極的に社会にかかわってゆく態度も形成されてゆく」(教書)と具体的に示してくださいました。

 どうでしょうか、私たちは日頃からこのように味わっているでしょうか。

 普段の暮らしの中で、かかせない毎日のお仏壇の給仕とともに、お念仏を称えさせていただく、当たり前のように考えていますが、果たして何のために、誰のために、お念仏があってくださるのでしょうか。

 「念仏は私たちがともに人生の苦悩を担い、困難な時代の諸問題に立ち向かおうとする時、いよいよその真実を表します。」(教書)


 本当はつきつめた問題のはずである、私自身の心の闇について、深く見つめ直してみようとも思わない、見つめ直す気にさえなれない、闇があることにさえも気づくことのできない私自身に向かって、その闇の深さをひたすらに示してくださっているのが、お念仏のはたらきであります。闇の中にずっといては気づくことが決してできない私に向かって、ともどもにその苦悩さえも抱き取って見捨てはしないよと、たったいま私自身を支え続けている、その阿弥陀如来のはたらきが、私たちの耳に音として届けられいるのが、お念仏、「南無阿弥陀仏」[なもあみだぶつ]の響きであります。

 今一度、自らをお念仏によって問うていく暮らしでなければなりません。

2002年5月16日木曜日

「愚かさを知る人こそ賢者なり」 新得町 新泉寺 高久教仁

 私たち人間ほど複雑で、難しいものはないと、何かことがあるたびに思います。大きなことを言っているかと思えば、小さなことにこだわってくよくよしてみたり、立派なことをしているように思ったら、場合によっては無茶苦茶なことをする時もあります。まして人の心の動きとなると、とても理解できるものではありません。

 学生時代、先生がよく言っていたことばの中に「人を知ることは大変なことであるが、自分を知ることの方がもっと難しい」ということばがございます。私たちは自分のことは自分がいちばんわかっていると思いがちですが、本当は自分のことがいちばんわかっていないのです。ギリシャの賢人は「汝[なんじ]、自らを知れ」と言われています。お釈迦さまも「汝まさに知るべし」と説かれています。

 お釈迦さまのお弟子に、チューラパンタカという人がおられました。この方は弟子の中でも、最も物覚えが悪いことで有名でした。チューラパンタカはそんな自分を悲しみ、ある時、お釈迦さまのもとを去ろうとしました。そのことを知ったお釈迦さまが理由[わけ]を聞くと、チューラパンタカは「私のような愚か者は、他のお弟子に迷惑をかけるばかりです。私にはとても悟りを開くことは出来そうにもありませんのでここを出ようと思います」と答えました。それを聞いたお釈迦さまは「お前は本当に自分のことを愚かものと思っているのか」と問われました。チューラパンタカは「思うも思わないも、私ほど愚かなものはこの世にはございません」と答えました。チューラパンタカのことばを静かに聞いておられたお釈迦さまは、大勢の弟子を集められて「もし愚かなものが自らを愚かなものと思うのなら、それはすなわち賢者であり、愚かなものが自らを賢いと思えば、それは愚かな者であるのだ」と話されました。チューラパンタカはその後、お釈迦さまの教えを守り、誰よりも早く悟りを開いたということです。

 自分自身を知らない人は、どこまでも自分を「是」とし、他の人を「非」とする一生を送ります。自分自身を知ることこそ、本当の幸せな道であり、他の人を幸せにする道であります。自分自身を知ることが出来るのは、仏さまの大きなご本願のおはたらきのお陰であります。

南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏。