2002年9月1日日曜日

「お彼岸に、今一度自分自身を問う。」 清水町 妙覚寺 脇谷暁融

 あっという間に夏が過ぎ去って行き、すでに9月。まもなく秋のお彼岸を迎えるような時季になりました。今年の夏は気温の上がり下がりが多く、健康などの気遣いが多い時季でもありました。皆さんはお変わりないでしょうか。

 時季ながら「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、にわかに夕方の暮れなずむ時間が早くなりました。お彼岸は「おさとり」の「彼[か]の岸」と書いて「ひがん」と読ませます。つまり、こちら側に立って向こう岸を示した表現、おさとりの世界、お浄土の世界を示します。

 お彼岸の行事は、日本独特のものですが、昔の人々が、日々生活に追われる慌ただしい中から、自分を振り返り、省みることのできない私自身を心配して、この「いのち」について考え、「私」とは何かを問う大きな機会を作ってくださるのが、お彼岸の間に参らせていただく最も大事なご縁です。

 「食べものの味も、仏縁も、若いときに味わっておくと、年をとってから帰ってくるもの」という味わいを語ってれた方がおられました。それはまさに、当を得た表現ではないでしょうか。仏法を通して、ご法座に参らせていただくことは、やがて人生の孤独や虚しさを超えて、真実の楽しみや心のうるおいや味わい、私自身の姿やありようを、必ず示してくださるにちがいありません。

 「今日の一日よりも若い日はない」と理屈では十分わかっていながら、なかなかできない私がここにいます。自分にとっていちばん若い日、それが今日という日であるという事実に、きちんと納得ができるならば、仏法を聞きたく思う「今日」、「いま」こそが「旬」であり、若いときとも言えるのではないでしょうか。

 私たちは、お彼岸を通して、届けられている阿弥陀如来の呼び声に、一度耳を研ぎ澄ませ、共々によろこびをもって「今」を生きて抜いていきたいものです。

 今一度、自らを南無阿弥陀仏のお念仏によって問うていく暮らしでなければなりません。

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