2005年5月16日月曜日

「足の裏のつぶやき」 鹿追町 浄教寺 池上恵龍

『足の裏のつぶやき』

 重い体に踏みつけられ、他人はおろか当人にも省みられず。
 ほめられもせず、いたわられもせず、
 ただ、もくもくと支えつづける、
 風呂に入っても丁寧に洗ってくれる人は少ない、
 それでいて、熱いところに、いきなりつけられるのは
 決まって「足の裏」
 くさい靴下の中で、じっと我慢を強いられ
 窮屈な靴に押しこまれ、何十年経っただろう
 たまに私の顔を覗いても
 ひび割れた甲、しわがれた皮膚、変形した指を眺め
 アーアーと、ため息をつくが
 溜息つきたいのは私の方だ、誰が私をこんなにした。


 富山に住む私の先輩・阿部行道さんが作られた促の裏のつぶやき」という詩です。私たちは、社会を論じ、人の行いを批判することには長けていますが、自分を振り返ったり、身近で普段世話になっている入や物に目を向けることは案外おろそかになっています。この詩は、「たまには、後ろを振り返って、疎かにしてきた、見過ごしてきた大切なものに目を向けてください」というメッセージだと思います。

 足の裏に目を向けることは、普段、表立ったところではあまり知られず、それでいて無くてはならない大きな力で支えてくださっている人たちが、家庭でも、社会でも、はたまた自然界でも沢山いることを知らせています。そのことは、支えられ生かされてきたにもかかわらず、自分一人の力で生きてきたように思い上がっている私のお粗末さが発見されることでもあります。

 少し丁寧に目を向ければ、どんなところでも裏方がいることに気がつきます。手を合わせましょう。きちっと目を向けて、そうした人々や、自然や、ものに、手を合わせましょう。私たちは頭だけで生きているのではないですものね。

 南無阿弥陀仏の教えは、私に、そうした目を開かせてくださり、お世話になっている一つひとつを「ありがたい」と喜びいただく心を知らせてくださる本当の宝物だと思います。

 あなたも一度「足の裏」を眺めてみませんか、そして、足の裏に手を合わせてみたいものです。