2006年11月1日水曜日

「あらゆる人々はみな如来の子」 帯広市 南豪寺 住職 竹中偉晃

 11月は朝夕の寒さもますます増し、木々は枯れ葉も落ち、秋はなにかしら物悲しい、寂しい季節と言えます。しかし秋は稔[みの]りの季節でもあります。稔[みの]りがあれば収穫があり、それは「いのち」へとつながっていきます。真宗法語カレンダーの11月に次のことばが載っていました。

 人生は、聴聞を続けることで、広く深くなる


 と。

 阿闍世王は、父王を殺害した罪の報いを恐れて苦しみ抜いていました。しかし、お釈迦さまより南無阿弥陀仏[なもあみだぶつ]の教えを聞き、他力の信心をいただきました。そこで、今までの世界が一変したのです。阿闍世は次のようにもうします。

 如来はすべての人々のために、常に慈悲の父母となってくださる。

 よく知るがよい。

 あらゆる人々はみな如来の子なのである


 聴聞をするまでの阿闍世にとって、自分以外の人々はどのように見えていたのでしょうか。おそらくは、虫けら同然であったことでありましょう。そのような世界の中では大変な孤独感が彼を襲ったことでありましょう。暗い狭い世界の中で孤独な人生を送っていたと思われます。それが、自分を含めてすべてが仏の子であると知ったのです。暗闇[くらやみ]の中から光の中へと、彼[か]の世界が大転換をしたのです。

 続けて阿闍世が申します。
私はかつて悪知識[あくちしき]に遇い、過去・現在・未来にわたる罪をつくった。いま仏[ほとけ]の前にこれを懺悔する。願わくは ふたたびこのようなつみをつくるまい。願わくはあらゆる人々が菩提心[ぼだいしん]をおこし、すべての世界の仏方[ほとけがた]を心にかけて常に念じてほしいと思う


 と。

 欲も怒りも無くならない私が、聴聞によってお念仏のおみのりをいただき、お浄土へ往生まちがいなしとする、阿弥陀さまのお心を、一生涯、聞かせていただくことが大切です。