2005年1月16日日曜日

「氷を溶かす あたたかな ひかり」 帯広市 帯広別院 中嶽真教

 先日、十勝の糠平湖へ行ってまいりました。1月にもなると湖面は厚い氷に閉ざされます。私の実家は近畿地方なので、湖に一年中氷が張ることはありません。そんな私ですから人間が乗ってもびくともしない氷の厚さには本当に驚かされました。ここの氷は春になればまた溶け出してもとの湖に戻るわけですから、季節の移り変わりのエネルギーを考えると驚かされます。

 人間の心も氷のようなものかなと、ふと思いました。

 この社会は、煩悩、欲望、憎悪と気苦労が絶えません。そんな杜会で生活している私たちの心はいつしかこの氷のように固く、冷たいものになっているのではないでしょうか? この氷はなかなか解けるようなものではありません。むしろ、どんどん硬く、冷え切ったものへと変化してゆきます。

 こんな冷え切った心を唯一溶かしてくれるのは、阿弥陀さまのおひかりなのです。

 春の日差しがゆっくりと氷を溶かしてゆくように、阿弥陀さまの智慧と慈悲の光が私たちの迷い、苦悩を照らし出してくださいます。そして、ゆっくりゆっくり、凝り固まった心をとかしてくださいます。

 私たちは、そんな、いつも働きかけてくださる阿弥陀さまのお力に気付かせてもらい、日々お念仏を味わって生活させて頂きたいものです。

2005年1月1日土曜日

「五濁悪時群生海 応信如来如実言」 帯広市 帯広別院 輪番 立森成芳

 明けましておめでとうございます。みなさまおそろいで、新年をお迎えのこととおよろこび申し上げます。

 それにしても、昨今の騒々しさはどうしたことでしょう。テロ・報復・殺人・誘拐・拉致、そして政界・財界・警察の汚職と、耳目を覆いたくなることばかりです。「五濁悪時群生海」[ごじょくあくじぐんじょうかい]との『正信偈』[しょうしんげ]のお言葉は、今日の世相にぴったりです。

 五濁とは、劫濁[こうじょく]・見濁[けんじょく]・煩悩濁[ぼんのうじょく]・衆生濁[しゅじょうじょく]・命濁[みょうじょく]を指し、劫濁とは時代そのものが濁っていることで、戦乱・疫病・災害・飢饉などがしきりに起こって、まさに乱世の時代のことであります。

 見濁とは、邪悪な考えがはびこり、正しい道理が通らない状況をいいます。

 煩悩濁とは、自己中心的に物事を考え、順調にいけばむさぼりとなり、順調にいかなければいかりとなり、やがて愚痴に明け暮れる心の濁った状況をいいます。

 衆生濁とは、精神的・肉体的に衰弱して、無気力になって、苦悩ばかりが広がる状況を言います。

 命濁とは、生き甲斐を感じられなくなり、寿命が次第に衰えていく状況をいいます。命があっても輝きを失って、漫然と生きている状況でしょう。

 このようにして、人々の身も心も環境も、世界全体が濁りきった混乱の状況を呈していることを五濁といったのであります。

 争いの絶えない世界になるという劫濁。そして間違った考え方がはびこるという見濁。自己中心の我欲がはびこるという煩悩濁。人間の性質が低下していくという衆生濁。人間の寿命が濁って萎縮してしまうという命濁。これはまさに地獄・餓鬼・畜生の様相です。

 悪業[あくごう]は悪業を呼んで、ひたすら五濁の海に沈没[ちんもつ]していくところには、しょせん安らぎも歓[よろこ]びもありません。ただあるのは苦悩・苦痛・苦悶だけです。

 出口のない暗闇の世界を際限なくさまよう私たちに、「応信如来如実言」[おうしんにょらいにょじつごん] -まさに如来真実の言[ごん]を信ずべし- と、重大な方向を示されているのです。

 ひたすら如来のお言葉に会いなさい。耳を傾けて聞きなさいとのお諭[さと]しであります。