私ども、仏教との出遇いの中、そのお心をいただくことの大切さをよく示されますが、現実に自らの歩みの中、そのことと向かいあう時、その難しさに直面いたします。「そのうちに、そのうちに」と時を過ごし、私の心に常に働いている自己を中心とした自我に左右され、悩まずにおられません。その道をご開山[かいさん]聖人[しょうにん]の歩みの中に尋ねてみたく思います。
そのご生涯に思いをいたす時、自ら求める中、お念仏のみ教えに出遇われ、そのご生涯を通じて常にみ教えに「問い、聞き、味わい」そして、私どもに「語られた」ことであります。自らの欲望と葛藤に沈む自我の心を悲歎し、そのような自分が救われていく道はと求められる中、み教えに出遇われたことを心から歓ばれ、その歓びを多くの友に伝えられたご生涯であったと偲ばれます。
そのお姿を偲ぶ時、まず大切なのは「問い」であることに気づかされます。人生のさまざまな悩み、迷いの中に身をおき、沈める自らの姿にあって、絶えず「問い」を深められた方と偲ばせていただくものです。真実のみ教え、すなわち、お念仏のみ教えに出遇われる中、法によって明らかにされた自身を、日々、その一歩一歩の歩みに省[かえり]みる歩みをされた方であったと味わうものです。
「問う」ことの大切さ、「問いを深める」ことの大切さをそのご生涯は示してくださっています。「問い、聞き、味わい、語る」ということの全ては、実に「問いの深さ」であることをそのご生涯は教えてくださっているうように思います。自らの「問い」を仏法に問うことを通してみ教えのお心に遇い、また、法を求めて生きる方々にご自身の味わいと如来さまのお心を伝えられることに、そのご生涯を過ごされています。そのお姿は、自らの味わい、喜びを語られ、さらなる広がりをもって共々の歩みを深められていっています。
お正信偈[しょうしんげ]の中にも示される七高僧のお一人である善導大師[ぜんどうだいし]は、『観経疏』[かんぎょうしょ]の中でその道を求めるにあたって、「各々[おのおの]が単独に真実を求めても成就し難い。人々と友に強い求道心[ぐどうしん]を発[おこ]して真実に至れ」と、その趣意を述べられています。
私たちは、この時代に生きるご縁をいただいた一人一人です。詩人・坂村真民師の「めぐりあいの ふしぎに てをあわせよう」の詩にもあるように、このかけがえのない大切ないのち、人生であることに目覚め、共々に道を求めるなか、共に生きぬく社会を目指して歩みを進めたく願うものです。
合掌
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