今年の桜は例年になく早かっただけに、遅い霜には、びっくりさせられました。農家の人の「思うようにいかないものだ」という、つぶやきが痛いようにわかる今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
すでに、マスコミで報道されていますので、お聞きになっていると思いますが、先の本願寺のご住職であり、浄土真宗本願寺派の教団を統裁されておりました、前門[ぜんもん]さまが、6月14日午後1時16分、ご遷化[せんげ]されました。
前門さまは明治44年のお生まれです。15歳のとき、ご開祖の親鸞聖人から数えて第23代目のご門主に就任されていらい、昭和52年65歳で退任されるまでの50年、という長い間、激動の時代に、宗門はもとより、わが国仏教界のリーダーとして先頭にお立ちになり、私たち仏教徒をお導きいただきました。また、英語やドイツ語にも堪能でして、海外にもお念仏のみ教えを広げられ、同時に、世界の宗教界においても、仏教の代表としてご活躍なされました。
帯広・十勝にも何度かお越しいただいていますが、最後のご訪問は昭和62年、帯広別院創立80周年記念のご法要ということになります。そのご法要に参拝された方もおられるかと思いますが、本当に温かな眼差しが印象的で、温容なお人柄が忘れられません。ここに、満90歳のご生涯を閉じられましたが、宗祖親鸞聖人のお念仏のみ教えを伝えていただきましたことに、深く御恩を偲ばせていただきましょう。
さて、上人[しょうにん]の御恩をはじめ、御恩を偲ばせていただくには、「恩を知る人」に育っていかなければなりません。「恩を知る人」という語源は、パーリー語で「カタンニュー」と言うのですが、その意味は「なされたことを知る人」ということです。なされたことを知らなければ、恩という気持ちがわくはずもありません。「子を持って知る親の恩」のことわざのように、子育ての苦労をしてみてはじめて、自分を育ててくれた親のありがたさや、親が注いでくれた愛情の深さがわかる人になっていくのです。
生老病死は、いのちあるものにとって、避けることはできません。どうすることもできないとわかっていながら、それでもどうにかならないだろうかと案ずるところから、人の苦しみは始まります。その苦しみがあるからこそ、それをご縁として、み仏さまの大きなお慈悲を感じ、知ることができるのです。
仏さまは一時も休まず、私どもにみ光を注ぎ続けて見守ってくださっています。そのお救いの中で、前向きに生きていこうではありませんか。
親鸞聖人の「恩徳讃」[おんどくさん]というご和讃[わさん]では、「仏さまの恩徳には身を粉にしてでも報じなさい、仏さまのみ教えを伝えてくださった人の恩徳には、骨を砕いてでも謝しなさい。」とうたっていますが、御恩をかみしめ、感謝しながら生きていきましょう。
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