寒い日が続きますが、皆様いかがお過ごしですか。北海道・十勝に住む私たちには、寒い冬は当たり前のことですが、特に今年の寒さは厳しく感じられます。また、先日は一日で50cmを超える大雪が降りましたし、本当に厳しい冬になっていますね。
さて、その雪のことになりますが、皆様は「雪がとけると何になるでしょう?」と聞かれると何と答えますか? 「それは水になるに決まっているじゃないか」 そう答えが返ってきそうですね。それはもちろん正解です。小学校4年生の理科の教科書にもちゃんとそう載っています。これは、科学的なものの見方からすれば当然の答えとなります。
しかし一方で、こう答えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。それは、「雪がとけると春になる」です。これは、なぞなぞの答えというのではなく、私たち北国の、雪に閉ざされた厳しい寒さの冬を過ごす者にとっての、実感としての答えであるといえましょう。日差しが暖かくなり、雪がとけてくると、「やっと春になったね」という、ホッと安心できる気持ちが表れている答えであります。「冬来たりなば春遠からじ」であります。こうした季節の移ろいの中で、今日、一日一日の“いのち”の有りようを見つめていくことが大切である、と気づかされます。
私たちはよく子どもに「大きくなったら何になるの?」と聞くことがあります。
「僕、野球選手になりたい。」
「私はお花屋さん。」
子どもはいろんな夢を話してくれます。
「そーっ。運動や勉強を一生懸命やって、立派な大人になってね。」そう励まします。
では逆に、大人になった私たちに子どもから「じゃあ、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんは、大きくなったら何になるの?」と聞かれたら何と答えますか?
今さら、何になるなんて考えたこともないし、また、考えてもし方のないことのように思っているのではないでしょうか。これでは夢も希望もない、下向きの人生で終わってしまいます。
親鸞聖人は「本願力に遇いぬれば 空しく過ぐる人ぞなき」とお示しくださいました(高僧和讃)。阿弥陀如来の「必ず救う」という誓いは、たとえどのようなことがあっても、迷いの世界を空しく流転させはしない、という私へのはたらきであります。
ですから、子どもに対して「私は大きくなったら仏さまにならせていただくのですよ。ありがたいことです。」と言える大人になり、手を合わせ、お念仏申す人生を歩む姿を示して参りたいものであります。
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