| 日時 | 支部 | 会場 | 参加者 |
|---|---|---|---|
| 5月30日 | 士幌線支部 | 真徳寺 | 130名 |
| 6月4日 | 下り銀河線支部 | 照経寺 | 111名 |
| 6月8日 | 上り銀河線支部 | 宝照寺 | 160名 |
| 6月14日 | 広尾線支部 | 真光寺 | 120名 |
| 6月17日 | 拓殖線支部 | 立教寺 | 86名 |
2007年6月30日土曜日
2007年6月29日金曜日
2007年6月28日木曜日
2007年6月16日土曜日
「お経を読ませていただく心構え」 新得町 立教寺 千葉照映
ようこそお電話くださいました。十勝組テレホン法話でございます。
よく、お経を聞かせていただきますとありがたいですね、心が休まりますね、ということを耳にいたします。
さて、ありがたいと言っている方に理屈を言うようで申し訳ないのですが、いったいどういうところがありがたいのでしょうか。
お経の中身がわかってありがたいのか、それとも世間の相場ではお経はありがたいものときめてつけているのか。
恐らく後者ではないでしょうか。私たちも含めてほとどんどの方はお経を聞いて内容をすっと理解できる方は少ないのではないでしょうか。
特殊な語学を身につけている方は別として。無理もないことであります。日本語ではありませんから。
お経とは、ご存知のとおりインドの国でお釈迦さまがお弟子さんを集めて、自分がさとりを開いた内容、すなわち「ご法話」をされました。2500年昔のことであります。筆記用具、メモ帳があるわけでなく、まして録音器具があるわけでもありません。当時は尊いお言葉は身をもって聞きなさいという習慣がありました。ですからお釈迦さまが生きておられる間は良かったのですが、問題はお亡くなりになった後、出てまいりました。
メモがありませんから「いやそんなふうには聞いていない、私はこう聞いていた」というふうに少しずつ聞き違いがでてきてしまったのです。
こんなことではせっかくのありがたいお釈迦さまのご法話が歪められてしまうと嘆かれ、お弟子さん方が集まり、書き残されたもの、それがお経であります。
そのお経が中国へと渡っていきます。中国ではそれを何年も何十年もかかって中国語へと翻訳されました。やがて日本へも渡ってきたのですが、そこでは翻訳できなかったのであります。それをそのままいただいたのです。
ですから今、私たちがいただいているのは中国語そのままのお経と言ってもいいわけです。日本人が中国語のお経を聞いているわけですから理解しがたいのも当然のことであります。
理解した者だけを救うという教えではありませんが、お釈迦さまが生涯かけて、命をかけて説き続けてくださったみ教えであります。
解らせていただこう、味合わせていただこうとする心の中から読ませていただく、それがお経を読ませていただく真摯な心構えではないでしょうか。
お電話ありがとうございました。担当は立教寺、千葉照映がさせていただきました。
よく、お経を聞かせていただきますとありがたいですね、心が休まりますね、ということを耳にいたします。
さて、ありがたいと言っている方に理屈を言うようで申し訳ないのですが、いったいどういうところがありがたいのでしょうか。
お経の中身がわかってありがたいのか、それとも世間の相場ではお経はありがたいものときめてつけているのか。
恐らく後者ではないでしょうか。私たちも含めてほとどんどの方はお経を聞いて内容をすっと理解できる方は少ないのではないでしょうか。
特殊な語学を身につけている方は別として。無理もないことであります。日本語ではありませんから。
お経とは、ご存知のとおりインドの国でお釈迦さまがお弟子さんを集めて、自分がさとりを開いた内容、すなわち「ご法話」をされました。2500年昔のことであります。筆記用具、メモ帳があるわけでなく、まして録音器具があるわけでもありません。当時は尊いお言葉は身をもって聞きなさいという習慣がありました。ですからお釈迦さまが生きておられる間は良かったのですが、問題はお亡くなりになった後、出てまいりました。
メモがありませんから「いやそんなふうには聞いていない、私はこう聞いていた」というふうに少しずつ聞き違いがでてきてしまったのです。
こんなことではせっかくのありがたいお釈迦さまのご法話が歪められてしまうと嘆かれ、お弟子さん方が集まり、書き残されたもの、それがお経であります。
そのお経が中国へと渡っていきます。中国ではそれを何年も何十年もかかって中国語へと翻訳されました。やがて日本へも渡ってきたのですが、そこでは翻訳できなかったのであります。それをそのままいただいたのです。
ですから今、私たちがいただいているのは中国語そのままのお経と言ってもいいわけです。日本人が中国語のお経を聞いているわけですから理解しがたいのも当然のことであります。
理解した者だけを救うという教えではありませんが、お釈迦さまが生涯かけて、命をかけて説き続けてくださったみ教えであります。
解らせていただこう、味合わせていただこうとする心の中から読ませていただく、それがお経を読ませていただく真摯な心構えではないでしょうか。
お電話ありがとうございました。担当は立教寺、千葉照映がさせていただきました。
2007年5月21日月曜日
2007年5月9日水曜日
2007年5月1日火曜日
「まさに貪欲こそ、苦の原因」 音更町 浄信寺住職 御幸誓見
ひと昔前のバブル全盛期ほどではありませんが、大型の詐欺事件が報道されています。今でも時々こんな電話がかかってきます。「大変お得な情報がありますが、いかがでしょうか」のような類の話です。
そうした電話には「そんなに儲かるなら、他人に教えないで自分だけのものにしたらどうですか」と答えて断りますが、敵もさるもの、「それはそうですが、私ひとりだけでなく、皆さんにも儲けてもらって幸せになってもらいたいのです」と返ってきます。
人間の欲望というのは、際限がありません。なければないで欲しがりますし、あればあったでそれらをもっと増やしたいと欲が出ます。先の電話の話も、そうした人間の弱さをついた話といえますが、欲しい欲しいという貪[むさぼ]りの心が、自分自身を苦しめているのではないでしょうか。まさに、貪欲[とんよく]こそ、苦の原因です。
お釈迦さまは私たちに、貪欲をはじめ三毒の煩悩を取り除かなければ、さとりを得ることができないと諭されました。ちょうど田畑において、雑草を抜いておかなければ、実りを収穫することができないのと同じです。
しかし、困ったことに、雑草は抜いても抜いても下から生えてくるのと同じく、煩悩も次から次へとわきおきってきます。
そうした煩悩を断ち切ることができない人間の実相を見抜かれ、それでもなお「必ず救うぞ」と呼びかけ続けてくださるのが阿弥陀如来であることを、尊くありがたく仰ぎたいものです。
そうした電話には「そんなに儲かるなら、他人に教えないで自分だけのものにしたらどうですか」と答えて断りますが、敵もさるもの、「それはそうですが、私ひとりだけでなく、皆さんにも儲けてもらって幸せになってもらいたいのです」と返ってきます。
人間の欲望というのは、際限がありません。なければないで欲しがりますし、あればあったでそれらをもっと増やしたいと欲が出ます。先の電話の話も、そうした人間の弱さをついた話といえますが、欲しい欲しいという貪[むさぼ]りの心が、自分自身を苦しめているのではないでしょうか。まさに、貪欲[とんよく]こそ、苦の原因です。
お釈迦さまは私たちに、貪欲をはじめ三毒の煩悩を取り除かなければ、さとりを得ることができないと諭されました。ちょうど田畑において、雑草を抜いておかなければ、実りを収穫することができないのと同じです。
しかし、困ったことに、雑草は抜いても抜いても下から生えてくるのと同じく、煩悩も次から次へとわきおきってきます。
そうした煩悩を断ち切ることができない人間の実相を見抜かれ、それでもなお「必ず救うぞ」と呼びかけ続けてくださるのが阿弥陀如来であることを、尊くありがたく仰ぎたいものです。
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