平成19年度の十勝組総代会・壮年会の合同一泊研修会が、2008年2月11日から12日の二日間にわたって十勝川温泉観月苑を会場に盛大に行われました。
今年は組内から101名の参加のもと、北海道教区教務所長の藤井純惠氏を講師に迎え、親鸞聖人750回大遠忌のテーマである『世のなか安穏なれ』を講題に、図解を交えてご本尊のお姿の意味などについて学習しました。
2008年2月8日金曜日
2007年12月6日木曜日
2007年11月11日日曜日
帯広別院百年を祝う 大谷光真ご門主様がご親修
2007年8月1日水曜日
「「一寸先は闇」?」 音更町 妙法寺 石田智秀
なまんだぶつ、なまんだぶつ。
「一寸先は闇」と言います。そして、「この世は次の瞬間に何が起こるか分からないから、わたしたちは真実のなんまんだぶつに出遇っていただかなければ大変なことになっていた」と言ったりもします。
先日、釧路にいたとき、ホテルで夕食後にサッカーの中継を見ていたら、TV画面に津波警報が流れました。「どこで地震があったんだろう? 大変だなあ」と思っていたら、「釧路・根室・オホーツク海側に、1メートルから2メートルの津波警報が出ました」ということでした。「地震がないのに津波が来るのか?」と思い、怖くなりました。
あわててホテルのフロントに降りて行って「避難しなくて良いのですか?」と聞いてみましたら、「大丈夫ですよ。このホテルそのものが、この地域の避難場所に指定されているんです。お客さんの部屋は三階ですから大丈夫ですよ」というふうに言われて、安心して戻ったんであります。
そして、その後で、やっと、他のことに気付くんであります。「今日お世話になったあのお寺は大丈夫だろうか? ああ、あそこは高台にある。‥‥じゃあ、明後日お世話になるあのお寺は大丈夫だろうか? ああ、あそこも大分内陸にあるから大丈夫だろう」などなど。
「一寸先は闇」だから、それでわたくしたち、なんまんだぶつという真実の光に照らされる、そういう生活をすべきなんだ、と言うんでありますけれど、わたしは、自分の身の安全が確保されてそれで初めて、それから他の方の心配をしたのです。
自分の安全が確保されてからでなければ、他の人のことが心配できない。その心のありようっていうのは、わたしの心そのものが、闇であって、「一寸先は闇」の世界を「闇」そのものが歩いているという姿なのではないかと思いました。
「一寸先は闇」だから、お念仏に出遇っていただかなければいけないと言います。しかし、それだけではなく、闇が闇の中を歩いているのが、わたしのありようなのです。
だから、お念仏に出遇っていただかなければならなかったのであります。
出遇っていただいて、本当に良かった。
あぶないところでした。
では、失礼します。
なまんだぶつ、なまんだぶつ。
「一寸先は闇」と言います。そして、「この世は次の瞬間に何が起こるか分からないから、わたしたちは真実のなんまんだぶつに出遇っていただかなければ大変なことになっていた」と言ったりもします。
先日、釧路にいたとき、ホテルで夕食後にサッカーの中継を見ていたら、TV画面に津波警報が流れました。「どこで地震があったんだろう? 大変だなあ」と思っていたら、「釧路・根室・オホーツク海側に、1メートルから2メートルの津波警報が出ました」ということでした。「地震がないのに津波が来るのか?」と思い、怖くなりました。
あわててホテルのフロントに降りて行って「避難しなくて良いのですか?」と聞いてみましたら、「大丈夫ですよ。このホテルそのものが、この地域の避難場所に指定されているんです。お客さんの部屋は三階ですから大丈夫ですよ」というふうに言われて、安心して戻ったんであります。
そして、その後で、やっと、他のことに気付くんであります。「今日お世話になったあのお寺は大丈夫だろうか? ああ、あそこは高台にある。‥‥じゃあ、明後日お世話になるあのお寺は大丈夫だろうか? ああ、あそこも大分内陸にあるから大丈夫だろう」などなど。
「一寸先は闇」だから、それでわたくしたち、なんまんだぶつという真実の光に照らされる、そういう生活をすべきなんだ、と言うんでありますけれど、わたしは、自分の身の安全が確保されてそれで初めて、それから他の方の心配をしたのです。
自分の安全が確保されてからでなければ、他の人のことが心配できない。その心のありようっていうのは、わたしの心そのものが、闇であって、「一寸先は闇」の世界を「闇」そのものが歩いているという姿なのではないかと思いました。
「一寸先は闇」だから、お念仏に出遇っていただかなければいけないと言います。しかし、それだけではなく、闇が闇の中を歩いているのが、わたしのありようなのです。
だから、お念仏に出遇っていただかなければならなかったのであります。
出遇っていただいて、本当に良かった。
あぶないところでした。
では、失礼します。
なまんだぶつ、なまんだぶつ。
2007年7月19日木曜日
2007年7月16日月曜日
「「布施をする」という生き方」 帯広市 光心寺 桃井直行
仏教のイメージというアンケートを見たら、「お葬式」「法事」「盆詣り」など、「死んでからいくところ」というのが多かったように思います。皆さんのイメージはどうですか? 確かに人が亡くなった時に、お坊さんの出番がやってくるのは事実です。
しかし仏教は「死」のみを問題にしてきたのではありません。むしろ、お釈迦さまの教えは「この現実世界を如何に生きるか」を問い続けたのであります。
特にお釈迦さまは私たちに「布施をする」という生き方を教えてくださっています。布施というのは、さまざまな施しを実践することです。一般的に布施といえば、財産をお寺に施すことをイメージします。これを「財施(ざいせ)」といいます。また仏さまの教えをひろめることを「法施(ほうせ)」といいます。それともう一つ、金品がなくても、仏教の知識がなくても、誰にでも出来る大切な布施行をお釈迦さまは教えてくださいます。それを「無財の七施(むざいのしちせ)」といいます。それは
というものです。
これが、仏法を学ぶものの大切な生活態度ですよと、お釈迦さまは教えてくださいます。しかもその布施の行為は「施しても施したという思いを起こさず、事を成しても成したという思いを起こさない」ものでなくてはならないといいます。
常に、やさしい眼差しを施しなさい。人に対して決して睨み付けたり冷ややかな目や態度を取ってはいけませんよ。
とげとげしいイヤな顔はしないように、にこやかに優しく和やかな顔で人に接してくださいね。
「おはようございます」「ごちそうさまでした」「ありがとうございます」などの優しい、ぬくもりのある言葉を使うように心がけてくださいね。
気遣いや思いやりの心をもって、ひとに接してください。また、ひとを不愉快な気持ちにさせるような態度をとったりしてはいけませんよ。
小さい子どもやお年寄りに席を譲ってあげなさいよ。また、ひとが訪ねてきたときに、早く帰れと言わんばかりの態度を取ってはいけませんよ。
以上の七つが、お釈迦さまが教えてくださる、大切な布施行なのです。決して難しいことではないのですが、なかなか実践することは出来ないことです。特に、俺が・私が「せっかくしてやったのに」という心がすぐに起こってしまう。最初は浄土の心持ちで布施の行為をしていたのに、相手の反応によってはあっという間に地獄の心で相手を切り刻んでしまう。そんな心が私の心なのです。そんな姿が私の正体なのです。そのことを見越してお釈迦さまは「施しても施したという思いを起こすな」とおっしゃいます。
こんな些細なことさえも、実は私には出来ないことなのですよ、と、お釈迦さまは我々に教えてくださっているのです。
それでは、お釈迦さまは私に何をすべきとおっしゃるのか? それは、やはり布施をしなさいというのです。何かするとおごりの心をおこし、またすぐにカッとなって怒りの心を起こしてしまう私だけれども、それでも今の私に出来る精一杯のことをさせていただく。布施の一つも出来ない私であったと頷きながら、まねごとでもいいから布施行をさせていただくことこそ、仏法を学ぶものの生き方であります。
南無阿弥陀仏。
しかし仏教は「死」のみを問題にしてきたのではありません。むしろ、お釈迦さまの教えは「この現実世界を如何に生きるか」を問い続けたのであります。
特にお釈迦さまは私たちに「布施をする」という生き方を教えてくださっています。布施というのは、さまざまな施しを実践することです。一般的に布施といえば、財産をお寺に施すことをイメージします。これを「財施(ざいせ)」といいます。また仏さまの教えをひろめることを「法施(ほうせ)」といいます。それともう一つ、金品がなくても、仏教の知識がなくても、誰にでも出来る大切な布施行をお釈迦さまは教えてくださいます。それを「無財の七施(むざいのしちせ)」といいます。それは
いつも 慈しみをたたえた 眼差しと
ほがらかで 柔和な顔色と
礼儀正しく 温かい言葉で語り合い
他人のために 骨身を惜しまず
深い愛情と 敬いの心から
和やかに 席をゆずり合い
安らぎの場所を 供養しましょう
というものです。
これが、仏法を学ぶものの大切な生活態度ですよと、お釈迦さまは教えてくださいます。しかもその布施の行為は「施しても施したという思いを起こさず、事を成しても成したという思いを起こさない」ものでなくてはならないといいます。
常に、やさしい眼差しを施しなさい。人に対して決して睨み付けたり冷ややかな目や態度を取ってはいけませんよ。
とげとげしいイヤな顔はしないように、にこやかに優しく和やかな顔で人に接してくださいね。
「おはようございます」「ごちそうさまでした」「ありがとうございます」などの優しい、ぬくもりのある言葉を使うように心がけてくださいね。
気遣いや思いやりの心をもって、ひとに接してください。また、ひとを不愉快な気持ちにさせるような態度をとったりしてはいけませんよ。
小さい子どもやお年寄りに席を譲ってあげなさいよ。また、ひとが訪ねてきたときに、早く帰れと言わんばかりの態度を取ってはいけませんよ。
以上の七つが、お釈迦さまが教えてくださる、大切な布施行なのです。決して難しいことではないのですが、なかなか実践することは出来ないことです。特に、俺が・私が「せっかくしてやったのに」という心がすぐに起こってしまう。最初は浄土の心持ちで布施の行為をしていたのに、相手の反応によってはあっという間に地獄の心で相手を切り刻んでしまう。そんな心が私の心なのです。そんな姿が私の正体なのです。そのことを見越してお釈迦さまは「施しても施したという思いを起こすな」とおっしゃいます。
こんな些細なことさえも、実は私には出来ないことなのですよ、と、お釈迦さまは我々に教えてくださっているのです。
それでは、お釈迦さまは私に何をすべきとおっしゃるのか? それは、やはり布施をしなさいというのです。何かするとおごりの心をおこし、またすぐにカッとなって怒りの心を起こしてしまう私だけれども、それでも今の私に出来る精一杯のことをさせていただく。布施の一つも出来ない私であったと頷きながら、まねごとでもいいから布施行をさせていただくことこそ、仏法を学ぶものの生き方であります。
南無阿弥陀仏。
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