しかし仏教は「死」のみを問題にしてきたのではありません。むしろ、お釈迦さまの教えは「この現実世界を如何に生きるか」を問い続けたのであります。
特にお釈迦さまは私たちに「布施をする」という生き方を教えてくださっています。布施というのは、さまざまな施しを実践することです。一般的に布施といえば、財産をお寺に施すことをイメージします。これを「財施(ざいせ)」といいます。また仏さまの教えをひろめることを「法施(ほうせ)」といいます。それともう一つ、金品がなくても、仏教の知識がなくても、誰にでも出来る大切な布施行をお釈迦さまは教えてくださいます。それを「無財の七施(むざいのしちせ)」といいます。それは
いつも 慈しみをたたえた 眼差しと
ほがらかで 柔和な顔色と
礼儀正しく 温かい言葉で語り合い
他人のために 骨身を惜しまず
深い愛情と 敬いの心から
和やかに 席をゆずり合い
安らぎの場所を 供養しましょう
というものです。
これが、仏法を学ぶものの大切な生活態度ですよと、お釈迦さまは教えてくださいます。しかもその布施の行為は「施しても施したという思いを起こさず、事を成しても成したという思いを起こさない」ものでなくてはならないといいます。
常に、やさしい眼差しを施しなさい。人に対して決して睨み付けたり冷ややかな目や態度を取ってはいけませんよ。
とげとげしいイヤな顔はしないように、にこやかに優しく和やかな顔で人に接してくださいね。
「おはようございます」「ごちそうさまでした」「ありがとうございます」などの優しい、ぬくもりのある言葉を使うように心がけてくださいね。
気遣いや思いやりの心をもって、ひとに接してください。また、ひとを不愉快な気持ちにさせるような態度をとったりしてはいけませんよ。
小さい子どもやお年寄りに席を譲ってあげなさいよ。また、ひとが訪ねてきたときに、早く帰れと言わんばかりの態度を取ってはいけませんよ。
以上の七つが、お釈迦さまが教えてくださる、大切な布施行なのです。決して難しいことではないのですが、なかなか実践することは出来ないことです。特に、俺が・私が「せっかくしてやったのに」という心がすぐに起こってしまう。最初は浄土の心持ちで布施の行為をしていたのに、相手の反応によってはあっという間に地獄の心で相手を切り刻んでしまう。そんな心が私の心なのです。そんな姿が私の正体なのです。そのことを見越してお釈迦さまは「施しても施したという思いを起こすな」とおっしゃいます。
こんな些細なことさえも、実は私には出来ないことなのですよ、と、お釈迦さまは我々に教えてくださっているのです。
それでは、お釈迦さまは私に何をすべきとおっしゃるのか? それは、やはり布施をしなさいというのです。何かするとおごりの心をおこし、またすぐにカッとなって怒りの心を起こしてしまう私だけれども、それでも今の私に出来る精一杯のことをさせていただく。布施の一つも出来ない私であったと頷きながら、まねごとでもいいから布施行をさせていただくことこそ、仏法を学ぶものの生き方であります。
南無阿弥陀仏。
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