2003年2月16日日曜日

「お彼岸に思う」 音更町 光明寺 臼井公敏

 お電話、ありがとうございます。来月は春の彼岸なので、お彼岸のお話をさせていただきます。

 ご存知のように、春分の日と秋分の日を「お中日」[おちゅうにち]として、前後三日間、計一週間を、それぞれ「春の彼岸」・「秋の彼岸」と申します。

 お彼岸というと、家でぼた餅を作って、お墓や納骨堂にお参りする行事だというのが、一般的ではないでしょうか。

 「彼岸」とは「到彼岸」とも言います。
 「到彼岸」の「到」[とう]は「到着」の「到」です。「いたる」と読みます。

 では、何処に到るのでしょうか?

 私たちが現在生きているこの世、迷いの世界の「此の岸」[このきし]から、さとりの世界の「彼の岸」[かのきし]に到るのです。

 自分の生活を省[かえり]み、祖先や人間の思いに感謝し、阿弥陀如来の誓いの船に乗せられて、悟りの彼の岸に到るしあわせをよろこぶのであります。

 私たちの人生とは、自分の思いとおりになりたいと努力もするが、どうにもうまういかない、どちらに転んでも不足や愚痴しか出てこない、そしてあげくの果てには、人生のむなしさと、けだるさだけが待ちかまえているという、救いようのない、人生のやりきれなさ、この世の問題でありながら、この世の努力や精進だけでは解決できるものではないところに彼岸を願うこころがあるのだろうと思います。

 現代の科学的な実証的な教育を受けた私たちにとって、彼岸はすんなりとは信じがたくなっているようです。信じないのではなく、信じられなくなってしまっているのです。

 拝まないのではない、拝めなくなっているのです。

 お中日には、各お寺でご法座[ほうざ]がありますのでぜひお寺に足を運び、お聴聞[ちょうもん]したいものです。

 その折々に、阿弥陀さまのご本願のおいわれを聴聞し、この私自身をみつめなおしたいものです。

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