2003年6月16日月曜日

「悲戦」 音更町 西然寺 白木幸久

 アメリカのブッシュ大統領がイラクへの戦闘終結宣言をしてから、1ヵ月がたちました。アメリカの圧倒的な武力のもとで、独裁者のフセイン政権はあっけなく崩壊してしまいました。しかし、戦争が起きたことによって、また新たな、深い悲しみが生まれました。とりわけ、私の心には、新聞に掲載されていた、12歳の少年の写真がこびりついています。それは、両腕のひじから先を失い、上半身大やけどを負った姿でした。バグダッドの少年の自宅に、アメリカ軍のミサイルが直撃したために、居合わせた両親・きょうだい10人が死亡し、少年だけがただ一人助け出されたというものでした。

 皆さん方も「何と気の毒な」と思われることでしょう。でも同時に、「自分はこんなひどい目にあわないでよかった」と、心の片隅で、ほっと安堵してはいませんか。「こんな悲惨で残酷なことが二度と起きませんように」と願うのでしたら、一緒に「人と人が殺し合う戦争に反対」と強く訴えかけていきましょう。

 今回、私どもの浄土真宗本願寺派に属する十勝管内のお寺42ヵ寺では、まだアメリカとイラクが戦争中だった3月末と4月初めに、十勝毎日新聞と北海道新聞に、意見広告を出しました。「悲しい」と「戦い」という字をあてて、「悲戦[ひせん]」という新しい言葉を、太字で大きく掲載しましたので、見た人もいるかもしれません。

 人間はお互いに助け合わなければ、生きていくことはできません。それなのに、人間同士、命を奪い合うために戦わなければならない状況におかれるのはとても悲しいことです。すべての生き物にとって、命は愛[いと]しいものですから、自分の見に置き換えて、「殺してはならない。殺させてはならない。」というのが仏教の基本的な教えなのです。たとえ、どんな理由があるにしても、人を殺していい理屈などあるはずがありません。

 もともと今回の戦争は、2001年9月にニューヨークで起きた、同時多発テロに対する報復が発端となっています。しかし、報復は新たな報復を繰り返すことになるのは、歴史をみればわかります。

 仏教では「もろもろの怨[うら]みは怨み帰すことによっては、決して鎮[しず]まらない。もろもろの怨みは怨み返さないことによって鎮まる」と説いています。

 確かに、大事な肉親を奪われた怨みは、鎮めようと思っても、すぐに鎮まるものではありません。それでも、我が身にひきあてて、自分にとってイヤなことは他人にとってもイヤなことであり、他人の悲しみや苦しみが自分のことのようにわかるようになっていく、そんな仏教の精神を少しでも身につけさせていただくことで、怨みが鎮められていくのを待つしかありません。

 20世紀は「戦争の世紀」と呼ばれましたが、仏教者として、奪われた命を尊び、21世紀が「平和な世紀」になるのを願わずにはいられません。

合掌

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