浄土真宗の教えとは、今を生きている、厳密に申せば生かされている、この私のいのちを見つめさせていただく教えであります。
私事になりますが、10月に子どもが誕生しました。私も出産に立ち合いましたが、陣痛が始まってから出産までの道のりは誠に険しいものであります。
「痛い痛い」と叫ぶ妻に何もしてやれない切なさや、弱音を聞くたびに10ヵ月間の努力やたくさんの思い出が浮かび、目頭が熱くなりました。
そうこうしているうちに、いよいよくらいまっくす。母子ともにいちばん辛い時期であります。私も助産師さんについて、「ヒーヒーフー、ヒーヒーフー」と声をかけます。そして12時間かけて、ついに誕生です。10ヵ月間母親の胎内で育ち、そしてこの世に誕生させていただいた姿はまさに感動そのもので、その時の感想はと言うと、「生まれて来てくれてありがとう!」の一言でした。出産後に先生より胎盤も見せてもらいましたが、これに対してもただ「10ヵ月間ありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいでした。
一般的に、誕生は華やかであり、反対の死に関しては暗いイメージがあります。しかし浄土真宗の教えでは、生と死を別のものとは捉えず、「生死一如」[しょうじいちにょ]とあるように、一つのものと説きます。こうした中、お釈迦さまが説かれているように、いま生まれて来てくれた、この子もまた、「生老病死」[しょうろうびょうし]という厳しい現実を生きていかなければなりません。まさにいずれは迎えなければならない死への秒読みが始まったんだなと実感しました。
このように申しますと、「お寺さん、生まれた側から悲観的ですね」と思う方もおられるかもしれません。しかし決して悲観ではありません。これが事実なのであります。そしてまた、私もそのうちの一人なのだと再認識させていただきました。
現実の苦しみから目をそらさない。ありのままを見つめさせていただくのが仏教の教えであります。ですが、実際にはなかなか直視できないのがこの私であります。しかしながら、このような私を見捨ててはおられないと願われたお方こそが、阿弥陀さまでありました。
そして、「そのままの姿で救うぞ!」「ただお念仏を称えてくれるだけで、誰一人、漏らさずに救うぞ!」という阿弥陀さまのおこころを学ばせていたえだくのが、浄土真宗の教えであります。
この度の子どもの誕生を見て、「私もまた、同じように母親が大変な思いをして生んでいただいた。そして私の親もまた同じように生まれさせていただいたのだ」と、いのちのロマンを感じました。
まさにこれは「いのちのリレー」と呼べるのではないでしょうか? そして命の尊さ、大切さを次の世代へとバトンタッチする。これがお念仏の相続であります。
現在2ヵ月目に入り、お陰さまで元気に育っております。親となってまだ2ヵ月ですが、ともに育てられる日暮らしを遅らせていただきたいと思います。
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