2004年7月1日木曜日

「みあとを慕って」 帯広市 仏照寺 藤本 実

 もう、2年前になります。京都・本願寺で3泊4日の研修会に参加させていただきました。日曜学校を開かれている若いお寺さんの研修で実に楽しく、充実した研修でありましたが、最終日に過酷な試練が待ちかまえていました。

 それは、滋賀県にある比叡山の山道を6人のグループで、いくつかの問題を解きながら一日かけて歩くものでした。折しも梅雨[つゆ]の時期で、朝から晩まで雨の降り続く山道を、なんとかゴールにたどり着きました。途中、もう少しで頂上というところで2人が座り込んでしまい、動けなくなってしまいましたが、休憩しながらゆっくり行こうと話し合いながらも、なぜか頂上を過ぎていないのに下り坂になりました。座り込んでしまった2人も元気を取り戻し、何とか進んでゆきましたが、目の前に立ちはだかったのは、霧にかすんで先が遥かに続く高い石の階段でした。

 言葉を失い、座り込んでしまった6人全員をもう一度立ち上がらせ、歩き出させたのは、

 「800年前に親鸞聖人もこの山道を歩かれたんじゃないか」

 という一言でした。

 親鸞聖人も、この比叡山で20年間修行をされ、法然上人のもとでお念仏を聞き開かれました。800年も先にご苦労された道筋を現代の私たちが同じ道を歩ませていただいていることに、頭が下がる思いでありました。

 がんばることがすばらしいとほめたたえられる今ですが、「頭が下がる思い」を私たちは忘れてがんばって、へこたれていたのでした。

 親鸞聖人は、ご和讃に

 不退のくらゐすみやかに
  えんとおもはんひとはみな
  恭敬[くぎょう]の心[しん]に執持[しゅうじ]して
  弥陀[みだ]の名号[みょうごう]称[しょう]すべし


 とお示しくださいました。

 恭敬とは頭の下がる思いであり、反対に、頭の上がらない世界でもあります。その心に気づかせていただいた6人は、申すまでもなく、息を切らせながらも、声を合わせ、歌を歌いながら山を降りてきたことを申し添えます。

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