社会の混乱は、そのまま人間関係の混乱と荒廃ということでもあります。
人間関係が荒廃してくると、人間同士お互いのつながりが希薄になってきます。自分と他人とのつながりが見えにくくなってくるのです。お互いのつながりが見えないことにより、それぞれの人間が自己中心の考えに支配されて自己中心の生活に埋没してしまいます。そこに個々のエゴごエゴとがぶつかり合い、その社会は必然的に荒廃してくるというのです。
今、社会には、この自己中心的な生き方が広がっていて、これこそが社会の混乱の根源ではないかと考えられます。
「宗教不在が社会の混乱を招く」と提言した仏教者は、また「宗教は人と人とを結びつける温かさと優しさであり、接着剤のようなもの」といわれています。
以前に知人の結婚式に出席した時に、ある方のお祝いの言葉が心に残りました。それは、
愛するということは、互いに見つめ合うことも大切だけれども、より大切なことは、ひとつのものを共に見つめていくこと
という言葉でした。ここにいわれる、「ひとつのものを共に見つめていく」ということは、ややもすれば自己中心の考えから抜けきれない私たちであるからこそ、お互いがひとつの「み教え」[みおしえ]を人生の拠り処とすることが家庭生活、広くは、社会生活において何よりも大切であると教えてくれているといただきました。
親鸞聖人がおすすめくださったお念仏の「み教え」[みおしえ]は、自分の欲望を満足させるとか、自分の思いのままに人生が送れることを説いたものではありません。この私を救うという阿弥陀さまの願いを信じ、南無阿弥陀仏[なもあみだぶつ]のお念仏を称[とな]える中に、自分の本当の姿が知らされ、歩むべき方向を示して下さるのが、お念仏の「み教え」[みおしえ]です。
そこには私と他人とのつながりを知らせ、結びつける温かさがあり、優しさがあります。お念仏を孟子ながら私と自然、私と他人とのつながりに目を開いて、心を向けて、歩んでいきましょう。
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