「お寺さんは悩みはないんでしょうね」とよく質問をされることが多いのですが、必ず、「吸った息を吐いている間は、悩みだらけですよ」とお答えをしております。皆さんの中には生きていることは楽しいことばかり、苦しみ、悩み、悲しいことは未だ経験したことがないとおっしゃる方がいるかもしれませんが、生きていくということは、悲しく、辛く、苦しいことが実に多いものです。
お釈迦さまは、そのような人生の実相、本当の有様を「一切皆苦」[いっさいかいく]と示して下さいました。しかし、私たちはその悲しく、辛く、苦しいことが起こった時、出来る限りプラス思考に逆転したり、自分の人生から遠ざけようとする私を見抜かれて、悲しく、辛く、悲しいと思い悩む心の根本の原因は、「私の思いが、何一つ思い通りにならない」ことを苦しみとおっしゃっておられます。
また、私たちは思ったり感じたりしたことを素直に表現することを良くないことと思ってしまい体裁を取り繕[つくろ]うことに翻弄[ほんろう]されて、本音を包み隠しながら生活しているように見えます。
先日、若くしてご主人を亡くされたご婦人から尋ねられました。「いくら悲しんでも、ご主人は帰ってこないんだから、早く忘れてしまいなさい」とか、「未練が残るから、遺品はすべて処分してしまいなさい」と言われるそうです。「忘れない」と言われると、ものすごく辛い、でも、いつまでも泣いてばかりもいられない。どうしたらよいのですか、ということでした。そこで私は、「大切な方を亡くした時、悲しいのは当然です。ご主人のことを思って泣いたらいいんですよ。悲しむことは大事なことです」とお答えをしましたら、「泣いてもいいんですよね」と安心されたお顔を見せて下さいました。
神戸児童連続殺傷事件で、小学校4年生の娘さんを殺されてしまった山下京子さんが書かれた著書『彩花へふたたび あなたがいてくれるから』の中に、
私が無意識のうちに選択してた方法は、泣きたい時には大声で泣くという方法でした。愚痴や泣き言も、無理に留めないでいっぱい言います。誰かに寄り添いたくなったら、夫や友人にもたれかかります。自分の悲しみの感情に逆らわないことにしたのです。(中略)
深く悲しむことができる人のみが、深い喜びと、深い怒りを知ることができるのだと、ようやく納得しつあるところです
と。
いかがでしょうか。阿弥陀さまの智慧に照らされて、私自身の命のあり方を知らされ、悲しい時には大声で泣き、苦しい時には、精一杯愚痴りながら、もちろん、嬉しいときには心から喜び、ありのままの私の人生を生きることが出来ます。
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