本願寺出版社発行の『伝道』65号の中に、今は亡き作家の司馬遼太郎さんの講演に、次のような味わい深いお話が書かれてあった。
アフリカのある国に青年海外協力隊として派遣された青年が、現地の若者と親友になった。ある日のこと、二人で宿舎を出て農場へ向かう道すがら、その親友が言ったというのである。
「今は若い僕たちも、やがて老人になり、そして死ぬだろう。いったい人間は何のために生まれてきたのだろう。そして、死ねばどうなるのだろう。」
日本人青年は内心非常に驚いた。未[いま]だかつて考えたこともない問いだったのである。
「若きとき仏法はたしなめ」といわれる。以来彼は自らの上に日々、この問いを持ち続けているという。
30数年前の思い出である……と。そしてまた普賢先生の
「人生は邂逅[かいこう]と別離の繰り返しであると思う。生命がつき、それのみで終わってしまったら寂しいことだと思う。命ある限り精一杯行き通し、その果てに何があるのか。お念仏申す者にはお浄土がめぐまれてある。このことを蓮如上人様は「後生の一大事」といわれているのである。娑婆[しゃば]の別れには、あとさきがあることはいかんともなし難い現実である。しかし再びあいまみえる賑[にぎ]やかなお浄土がめぐまれているのである。」
……と。
「本願を信じ念仏を申さば仏になる」
「世の中安穏なれ 仏法弘まれかし」
「ともに輝く世界へ」
のとも、共々に一歩一歩、歩んでまいりましょう。
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