2007年4月1日日曜日

「教区会におもむいて」 教区会僧侶議員 梅原了圓


 十勝の地にも日増しに春の訪れが感じられる頃となりました。
 私こと、昨年4月に教区会議員職を仰せつかってから早1年、各寺住職様を始め多くの方々からのお導きを賜りながら今日を迎えさせていただきました。心より御礼申し上げます。
 教区会におもむいて、組長時代とは責務の異なる立場より関わり思うことは、教区の各種事業に対しての内容を踏まえながらの予算・決算審議の難しさ、又、私どもに深く関わる各種区令の検討審議、そして、本山と教区、組、各寺院に関する案件、諸問題の対応審議等、あらためてその内容が多岐にわたり重要課題の多いことを痛感しております。その責務の重さに身が引き締まる思いです。
 現在、教区には各寺院に関わる本山および教区の賦課制度等の問題、過疎の間題、差別と平和の問題、そして、来る平成23年4月より「世のなか安穏なれ」のスローガンのもと修行される親鸞聖人750回大遠忌に向けての諸課題等、私ども宗門全体の基幹運動計画にも深く関わる諸問題が山積しております。
 今後とも、皆様のご指導ご指摘を頂きながら諸課題を学びつつ、組と連携のもと、教区に於いて発言していく所存です。教区の動きについても組会等を通じ、出来得る限りお伝えしてまいりたく思っております。これからもお導きの程、宜しくお願い申し上げます。

合掌

「今、思うこと」 教区会門徒議員 鳥本順司


 早いものですね、十勝組から選出されて北海道教区の議員になり2期目になります。1年に2回程会議がありますが何とか続けられております。
 会議の内容は、国・道・市町村の議会と同様で、予算・決算・人事・規約の改廃等が主で2月は親鸞聖人の750回大遠忌法要委員会の設立があり委員が決まりました。
 私達が信じる宗教は不変でありますが、現代のような科学文明の発達した時代になっても、私達の周囲には多くの迷信や俗信がはびこっています。占いやまじない、神がかりなど日本の各地で未だに人々の心を支配しており、そうした現象は無数といってよいほどあります。
 多くの人はそれを宗教だと思っていますし、そういう人々の気持ちを利用して不合理なことをいう宗教らしきものも後を絶ちません。
 日本人固有の宗教的心情は祖先崇拝であるといわれています。それは生まれつき天性に繋がるもので、どんなに文明が発達してもたやすく無くならないものだと思います。
 これは誰に教えられたものでなく、日本人として生まれたときからもっているからでしょう。仏教のような世界宗教といわれるものは、釈尊のような優れた宗教的境地に達した人が開かれたもので、その導きによって人々は生まれたときから持っている迷いから目覚めるのであって、その目覚めによって初めて私達は迷信や俗信から離れることが出来るものと思います。
 現代人は合理的な判断により誤った考え方を否定するのが普通ですが、ただそれだけでは迷信や俗信から解放されることは困難です。というのはそれが人間の生まれつきの心の在り方に結びついているからではないでしょうか。

合掌

十勝組 総代会 会長 今江一良


 みなさま、心豊かにお過ごしのこととお喜び申し上げます。この度、総代さま各位のご推挙を頂き再度重責を担うことになりましたが、組長さまを始め先輩諸氏より摂取心光を重ね本願を信じ、何よりも大切な人間同士のつながり(ご住職 - ご総代 - ご門徒)を大切にし、みなさまのお役に立てますように励んで参りたいと思います。

合掌

十勝組 仏教壮年会連絡協議会 会長 村瀬信義


 今年20周年を迎えた十勝組仏教壮年会の目的としているのは、相互の連携を密にして親睦を諮り、宗派の基幹運動の充実発展である。
 これをふまえ、来年の記念事業に向けて、未結成寺院への立ち上げの働きかけをし、仏教壮年として御同朋の社会をめざし、宗門の中核となり、共に歩んでいきたいと思っております。

合掌

十勝組 仏教婦人会連絡協議会 会長 藤本喜久子


 十勝組仏教婦人会連絡協議会も、昨年は節目の50周年を迎えることができました。
 仏婦会員の減少と役員のなり手が無いなどの悩みも多いことですが、これからも32カ寺の仏婦会員と話し合いをしながら朋[とも]に発展に努めたいと思います。

合掌

「心の鏡」 中札内村 眞光寺住職 桃井浩純

 私にとって一番大切なものは、と問われたならば、それは言うまでもなく、「私の命」と答えるでしょう。なぜなら、「私の命」は父母、兄弟、姉妹、夫婦等、誰もが代わることができず、そして二度とない人生を生きる命であるからこそ、一番大切であり、尊いのであると思います。

 そうしたかけがえのない命をいただきながら、そのことを日々確認もせず、吟味[ぎんみ]もせず、人と比べて安らかな思いのないまま今日に至ってはいないでしょうか? それは何故でしょうか。

 その因[もと]を尋ねれば、おそらく人間は、「いつもいつも」「幸せでありたい」「自分の思うがままに生きていきたい」という欲望が心の根底にあると言ってよいのではないかと思います。

 すなわち、むさぼり、いかり、おろかさです。悲しいことですが、自己中心的な考え方の表われだと思います。

 その結果はなかなか自分の思い通りには進みません。その時、自分にとって都合の悪いことは他人のせいにし、他人が薄情だなど、他人に責任転嫁をし、自分をふりかえることなく他人を批判してしまう傾向があるのではないでしょうか。

 他人のせい、他人が薄情だとみえるのも、その多くは自分の蒔[ま]いた種の証であるということに、気づきたいものですネ。

 善導大師[ぜんどうだいし]のお示しになったお言葉に、「経は教なり、また鏡なり」というのがあります。お経は教えであり、鏡であるということです。

 誰も代わることのできない命をいただき、二度とない人生を生きるからこそ、如来のみ教えを鏡として、その鏡に自分の姿を写し、ふりかえってみることが大切なのではないでしょうか。

 二十年ほど前、私が砂利道で自動車を運転中、「ゴトーン!」と音を立てて落ちてきたものがありました。慌てて車を止め、よくよく見ると、ルームミラーでした。ルームミラーがないと不安で落ち着いて運転できないものですね。ルームミラーで後ろを確認しながら運転するからこそ安心して走れるものだということを、身をもって体験しました。

 これと同じように、私たちの人生も、自分をしっかりと写し、照らし続けてくれる鏡を持つことが、生きていくうえに大事なことだと思います。

2007年3月16日金曜日

「教えの中に生かされてゆく日暮らし」 清水町 寿光寺 増山孝伸

 今年は暖冬と言われながらも季節は少しずつ移っていることが、風や土の匂いにも春の気配を感じるようになりました。

 親より先に子どもに亡くなられることは、親にとっては耐え難いものです。一人息子に若くして先立たれ、いつもお寺参りに足を運んでくださるお婆ちゃんがおられ、柔らかな笑顔を絶やさず熱心に聴聞されておられました。

 「お寺に来ると、亡くなった息子に会え、みんなとおしゃべりができるから、とても楽しくてしょうがないんだよ」

 先立つ人は後を導くと言います。亡き子をご縁として、仏さまへのご縁にあわれた方でした。

 一人この世に残された息子への思いをお婆ちゃんは「会いたい 会いたい 息子に会いたい」と、お布施の裏に書かれたこともありました。その方も、今は亡くなってしまいました。

 私たちには死んでも阿弥陀さまのお浄土に生まれかわり、再会できる世界が用意されています。

 きっと、今は、このお婆ちゃんも、お浄土での息子さんとの再会を喜んでおられることでしょう。

 自分を支えてくれる大きな命の流れを振り返ることも時として必要です。今、この世の中の流れにまどわされて、自ら迷いの人生を送っているのではないでしょうか?

 私たちは、「いのち」の恵み、ありがたさを感じながら、仏さまの教えの中に生かされてゆく日暮らしを送りたいものです。

 春のお彼岸です。皆さんの菩提寺でも彼岸会法要をつとめられることと思います。命のふるさと、お寺に足を運びましょう。