2007年4月1日日曜日

「心の鏡」 中札内村 眞光寺住職 桃井浩純

 私にとって一番大切なものは、と問われたならば、それは言うまでもなく、「私の命」と答えるでしょう。なぜなら、「私の命」は父母、兄弟、姉妹、夫婦等、誰もが代わることができず、そして二度とない人生を生きる命であるからこそ、一番大切であり、尊いのであると思います。

 そうしたかけがえのない命をいただきながら、そのことを日々確認もせず、吟味[ぎんみ]もせず、人と比べて安らかな思いのないまま今日に至ってはいないでしょうか? それは何故でしょうか。

 その因[もと]を尋ねれば、おそらく人間は、「いつもいつも」「幸せでありたい」「自分の思うがままに生きていきたい」という欲望が心の根底にあると言ってよいのではないかと思います。

 すなわち、むさぼり、いかり、おろかさです。悲しいことですが、自己中心的な考え方の表われだと思います。

 その結果はなかなか自分の思い通りには進みません。その時、自分にとって都合の悪いことは他人のせいにし、他人が薄情だなど、他人に責任転嫁をし、自分をふりかえることなく他人を批判してしまう傾向があるのではないでしょうか。

 他人のせい、他人が薄情だとみえるのも、その多くは自分の蒔[ま]いた種の証であるということに、気づきたいものですネ。

 善導大師[ぜんどうだいし]のお示しになったお言葉に、「経は教なり、また鏡なり」というのがあります。お経は教えであり、鏡であるということです。

 誰も代わることのできない命をいただき、二度とない人生を生きるからこそ、如来のみ教えを鏡として、その鏡に自分の姿を写し、ふりかえってみることが大切なのではないでしょうか。

 二十年ほど前、私が砂利道で自動車を運転中、「ゴトーン!」と音を立てて落ちてきたものがありました。慌てて車を止め、よくよく見ると、ルームミラーでした。ルームミラーがないと不安で落ち着いて運転できないものですね。ルームミラーで後ろを確認しながら運転するからこそ安心して走れるものだということを、身をもって体験しました。

 これと同じように、私たちの人生も、自分をしっかりと写し、照らし続けてくれる鏡を持つことが、生きていくうえに大事なことだと思います。

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