以前にこのようなことがありました。それは、小中学校時代の友人のご家庭で行われたご法事の折のことでした。その日は久しぶりの再会なので車では行かず、ご法事の後、しばしの間、美酒をいただきながら互いに幼き頃の思い出を交わし、楽しいひと時を過ごさせていただきました。そして、あまり長居をしてはご家族にご迷惑をかけると思い、彼が引き止めるのを断り、お酒を飲まない彼に自坊まで送っていただきました。別れ際に「その内にクラス会などでまた会おう」と約束を交わし別れたのでした。その別れが今生での最後の別れとも知らず、再会できるものと約束を交わし別れを告げた私でした。彼は心臓の病いにより、若くして急逝したのでした。
彼の悲報を聞かされた時、悲しみと共に法事の折の彼の優しい言葉とその姿、「もう少しゆっくりしていっては」との誘いを断り別れを告げた自分が思い出され、「また必ず会えるもの」と別れを告げた自分に悔いるばかりでした。今も、「あの時もっと話を交わせばよかった」と悔いる私です。
自分たちは若いから「まだまだ」との思いから「その内に」と別れを告げた私に、彼は自らの命をもって命のことわりを示して諭[さと]してくださいました。そして、「その内に」という先のばしの遅れが生涯の悔いとなることを、今もなお、この私に語りかけ続けてくれています。
友人のことを偲ばせていただく時、学びの中で伝え聞いた親鸞聖人の仏門に入られる出家得度の折のお話が心にyかんで来ます。
9歳にして出家得度された際、その式を行う京都青蓮院[しょうれんいん]の慈円和尚[じえんかしょう]が、「今から行えば夜半になるので明日にしては」と申されるのに対し、聖人は今から行って欲しいとの願いから
明日ありと 思う心の 仇桜[あだざくら] 夜半[よわ]に嵐の 吹かぬものかわ
と先人の歌を引用されその思いを伝え、和尚がこの決意に答えられて早速執り行い、無事得度の式を終えられたと伝えられています。聖人のお姿にあらためて偲び学ばせていただくものです。
また、『蓮如上人御一代記聞書』[れんにょしょうにん ごいちだいき ききがき]には、仏法をお聞かせいただくのに
仏法には明日ということは あるまじきよしの仰せに候
と記されています。明日があるかどうか不確かな命をいただいている私が「明日がある」と思い、命の姿を見失った「その内に」を繰り返す生き方に陥っていることをまことに厳しくお諭しくださっています。
如来さまのお諭しのもと、今生かされている命に目覚め、歩みを大切にいただける人生に一歩でも近づけたならと願うものです。
合掌
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