今回も、浄土真宗本願寺派 十勝組[とかち-そ]のテレホン法話にお電話いただきありがとうございます。
今年も、気づいてみたら、夏至を過ぎ、夏本番の時期になりました。今年の夏は気温の変化も多く、健康などの気遣いが多い感じがします。皆さんはお変わりないでしょうか。
暑さとともに、まもなく、各地の寺では、一軒一軒のお宅にお参りさせていただく、お盆参りが始まります。亡き人のさまざまなご縁をいただき、先代、先々代からお付き合いのあるお宅ばかりでなく、近年になってご縁をいただいたお宅もあれば、今年初めてお盆を迎えていただくお宅など、それぞれのきっかけが、それぞれのお宅にあってくださることと思います。
「お盆」という言葉は、インドの古い言葉「ウランバーナ」の発音に、漢字を当てたものと言われ、もともとの意味は「逆さづり」、逆さまに吊られた状態、いかにも少しの間も我慢できないような、苦しい様子を表しています。
人間は、頭が上にあり、足が地面に立つように、過ごしています。これを上下の頭と足を逆さに吊られるような状態は、日常の中では、まず経験することはありません。このままの状態を人間が経験すると「頭に血が上[のぼ]る」ということになります。この状態が長く続くならば、これは生き死にに関わる危険な事態とも言えます。
勘違いしていただかないように付け加えておきますが、亡き人が逆さづりのような状態にあるので、お盆に私たちが迎えたり送ったりして、亡き人を供養する、というのではありません。逆さづりのような状態でもがき苦しんでいるのは、亡くなっていかれた方ではなく、この私自身のたった今、現在のありようを示してくださっています。
それにもかかわらず、私自身のこととして受け取れないほど、「私は大丈夫だ」と思いこんではいないでしょうか。元気だから、若いから、お金が少々あるから、家族がいるから、まだまだ大丈夫だと、言い続けているのが、私自身ではないでしょうか。
逆さづりのような状態で生きているにもかかわらず、そのことにさえ気づけないで、大丈夫と言い続けている私自身の姿を、阿弥陀さまの目から見てくださると、いかにも逆さまのことをしていると映ってくださっているのです。亡き人は阿弥陀さまのお浄土から、この事実を私自身に問いかけてくださっています。
日々の生活に追われる慌ただしい中から、自分を振り返り、省[かえり]みることの出来ない私自身を心配して、この「いのち」について考え、「私」とは何かを問う大きな機会を作ってくださっているのが、お盆に参らせていただく最も大事なご縁です。
今一度、自らを南無阿弥陀仏のお念仏によって問うていく生活でなければなりません。
2003年7月16日水曜日
2003年7月1日火曜日
「この身体[からだ]で聞く」 新得町 新泉寺 高久教仁
お寺によくお参りに来られるお婆さんの中に、いつもトイレの前で手を合わす方がおられます。
お婆さんは毎朝、目が覚めると、「あぁ、目が見えてくださる有り難いなあ。あぁ、手が動いてくださるありがたいなあ。あぁ、足が動いてくださるありがたいなあ」と思うそうです。また、庭で草を取る時には「せっかくここまで大きくなったのにすまんなあ、すまんなあ」と草一本一本にあやまりながらの作業だそうです。
このお婆さんのお姿は、一体どこからくるものなのでしょうか。それは昔、子だくさんで食べることさえままならず、学校へも満足に行かせてもらえなかった時代に、必死でお婆さんら子どもたちを育ててくれたお母さんの後ろ姿でありました。お婆さんによると、「母は字も書けず無学であったが、いつでもどこでも誰にでも感謝、感謝の人出、とても優しい方であった。そんな母の心をいつでも“感じて”生きてまいりました」と話をしてくださったことがありました。
今、このお婆さんと一緒に暮らしてるお孫さんがこの春、大学を卒業した時に、母親に「あなたが近所のみなさんから可愛がられていい子に育ったのは、みんなお婆ちゃんのお陰だね」とあらためて言われたそうです。大学出のお母さんは「学校にも行ってないおばあちゃんがみんなから認められるのに、自分はなぜ認められないのか」と、お婆ちゃんの生き方を深く考えられたそうです。
私たちは、たくさんの知識を持っています。また、日々発達する科学がすべてを解決してくれると考える人も少なくはないでしょう。しかし、大切なものを見失ってはいないでしょうか。
お寺に来られる人の中に、「お説教を聞いても少しも喜びが出てこない。一所懸命に聞いているけれども、ひとつも有り難くならない」と申される方がいらっしゃいます。それはただ仏法をことばで理解しようとして頭だけで聞いているからではないでしょうか。
お釈迦さまが「我が裳裾[もすそ]を取りて我れに従うとも、我れを見るにあらず、法を聞くものこそ我れを見るものである」と言われています。お釈迦さまの裾[裾]を持っていっしょに歩いていても、その姿を目の前に見ながらその声を聞いていても、真実のお釈迦さまに出会っているのではないのです。
“法を聞く”ということは“感じる”ことであり、こころからうなずくことであります。妙好人[みょうこうにん]と称された念仏詩人の浅原才市[さいち]同行[どうぎょう]は、「こころに当たるナムアミダブツ」と言われています。“こころに当たる”とは、仏さまのいのちが私の全身に響いてくださることです。教えが全身を通して入り込み、その人に働きつづけてくださることであります。仏法とは私のこの身体[からだ]を耳にして聞くことであります。
お婆さんは毎朝、目が覚めると、「あぁ、目が見えてくださる有り難いなあ。あぁ、手が動いてくださるありがたいなあ。あぁ、足が動いてくださるありがたいなあ」と思うそうです。また、庭で草を取る時には「せっかくここまで大きくなったのにすまんなあ、すまんなあ」と草一本一本にあやまりながらの作業だそうです。
このお婆さんのお姿は、一体どこからくるものなのでしょうか。それは昔、子だくさんで食べることさえままならず、学校へも満足に行かせてもらえなかった時代に、必死でお婆さんら子どもたちを育ててくれたお母さんの後ろ姿でありました。お婆さんによると、「母は字も書けず無学であったが、いつでもどこでも誰にでも感謝、感謝の人出、とても優しい方であった。そんな母の心をいつでも“感じて”生きてまいりました」と話をしてくださったことがありました。
今、このお婆さんと一緒に暮らしてるお孫さんがこの春、大学を卒業した時に、母親に「あなたが近所のみなさんから可愛がられていい子に育ったのは、みんなお婆ちゃんのお陰だね」とあらためて言われたそうです。大学出のお母さんは「学校にも行ってないおばあちゃんがみんなから認められるのに、自分はなぜ認められないのか」と、お婆ちゃんの生き方を深く考えられたそうです。
私たちは、たくさんの知識を持っています。また、日々発達する科学がすべてを解決してくれると考える人も少なくはないでしょう。しかし、大切なものを見失ってはいないでしょうか。
お寺に来られる人の中に、「お説教を聞いても少しも喜びが出てこない。一所懸命に聞いているけれども、ひとつも有り難くならない」と申される方がいらっしゃいます。それはただ仏法をことばで理解しようとして頭だけで聞いているからではないでしょうか。
お釈迦さまが「我が裳裾[もすそ]を取りて我れに従うとも、我れを見るにあらず、法を聞くものこそ我れを見るものである」と言われています。お釈迦さまの裾[裾]を持っていっしょに歩いていても、その姿を目の前に見ながらその声を聞いていても、真実のお釈迦さまに出会っているのではないのです。
“法を聞く”ということは“感じる”ことであり、こころからうなずくことであります。妙好人[みょうこうにん]と称された念仏詩人の浅原才市[さいち]同行[どうぎょう]は、「こころに当たるナムアミダブツ」と言われています。“こころに当たる”とは、仏さまのいのちが私の全身に響いてくださることです。教えが全身を通して入り込み、その人に働きつづけてくださることであります。仏法とは私のこの身体[からだ]を耳にして聞くことであります。
わしが阿弥陀になるじゃない
阿弥陀の方からわしになる
なむあみだぶつさいち
2003年6月16日月曜日
「悲戦」 音更町 西然寺 白木幸久
アメリカのブッシュ大統領がイラクへの戦闘終結宣言をしてから、1ヵ月がたちました。アメリカの圧倒的な武力のもとで、独裁者のフセイン政権はあっけなく崩壊してしまいました。しかし、戦争が起きたことによって、また新たな、深い悲しみが生まれました。とりわけ、私の心には、新聞に掲載されていた、12歳の少年の写真がこびりついています。それは、両腕のひじから先を失い、上半身大やけどを負った姿でした。バグダッドの少年の自宅に、アメリカ軍のミサイルが直撃したために、居合わせた両親・きょうだい10人が死亡し、少年だけがただ一人助け出されたというものでした。
皆さん方も「何と気の毒な」と思われることでしょう。でも同時に、「自分はこんなひどい目にあわないでよかった」と、心の片隅で、ほっと安堵してはいませんか。「こんな悲惨で残酷なことが二度と起きませんように」と願うのでしたら、一緒に「人と人が殺し合う戦争に反対」と強く訴えかけていきましょう。
今回、私どもの浄土真宗本願寺派に属する十勝管内のお寺42ヵ寺では、まだアメリカとイラクが戦争中だった3月末と4月初めに、十勝毎日新聞と北海道新聞に、意見広告を出しました。「悲しい」と「戦い」という字をあてて、「悲戦[ひせん]」という新しい言葉を、太字で大きく掲載しましたので、見た人もいるかもしれません。
人間はお互いに助け合わなければ、生きていくことはできません。それなのに、人間同士、命を奪い合うために戦わなければならない状況におかれるのはとても悲しいことです。すべての生き物にとって、命は愛[いと]しいものですから、自分の見に置き換えて、「殺してはならない。殺させてはならない。」というのが仏教の基本的な教えなのです。たとえ、どんな理由があるにしても、人を殺していい理屈などあるはずがありません。
もともと今回の戦争は、2001年9月にニューヨークで起きた、同時多発テロに対する報復が発端となっています。しかし、報復は新たな報復を繰り返すことになるのは、歴史をみればわかります。
仏教では「もろもろの怨[うら]みは怨み帰すことによっては、決して鎮[しず]まらない。もろもろの怨みは怨み返さないことによって鎮まる」と説いています。
確かに、大事な肉親を奪われた怨みは、鎮めようと思っても、すぐに鎮まるものではありません。それでも、我が身にひきあてて、自分にとってイヤなことは他人にとってもイヤなことであり、他人の悲しみや苦しみが自分のことのようにわかるようになっていく、そんな仏教の精神を少しでも身につけさせていただくことで、怨みが鎮められていくのを待つしかありません。
20世紀は「戦争の世紀」と呼ばれましたが、仏教者として、奪われた命を尊び、21世紀が「平和な世紀」になるのを願わずにはいられません。
皆さん方も「何と気の毒な」と思われることでしょう。でも同時に、「自分はこんなひどい目にあわないでよかった」と、心の片隅で、ほっと安堵してはいませんか。「こんな悲惨で残酷なことが二度と起きませんように」と願うのでしたら、一緒に「人と人が殺し合う戦争に反対」と強く訴えかけていきましょう。
今回、私どもの浄土真宗本願寺派に属する十勝管内のお寺42ヵ寺では、まだアメリカとイラクが戦争中だった3月末と4月初めに、十勝毎日新聞と北海道新聞に、意見広告を出しました。「悲しい」と「戦い」という字をあてて、「悲戦[ひせん]」という新しい言葉を、太字で大きく掲載しましたので、見た人もいるかもしれません。
人間はお互いに助け合わなければ、生きていくことはできません。それなのに、人間同士、命を奪い合うために戦わなければならない状況におかれるのはとても悲しいことです。すべての生き物にとって、命は愛[いと]しいものですから、自分の見に置き換えて、「殺してはならない。殺させてはならない。」というのが仏教の基本的な教えなのです。たとえ、どんな理由があるにしても、人を殺していい理屈などあるはずがありません。
もともと今回の戦争は、2001年9月にニューヨークで起きた、同時多発テロに対する報復が発端となっています。しかし、報復は新たな報復を繰り返すことになるのは、歴史をみればわかります。
仏教では「もろもろの怨[うら]みは怨み帰すことによっては、決して鎮[しず]まらない。もろもろの怨みは怨み返さないことによって鎮まる」と説いています。
確かに、大事な肉親を奪われた怨みは、鎮めようと思っても、すぐに鎮まるものではありません。それでも、我が身にひきあてて、自分にとってイヤなことは他人にとってもイヤなことであり、他人の悲しみや苦しみが自分のことのようにわかるようになっていく、そんな仏教の精神を少しでも身につけさせていただくことで、怨みが鎮められていくのを待つしかありません。
20世紀は「戦争の世紀」と呼ばれましたが、仏教者として、奪われた命を尊び、21世紀が「平和な世紀」になるのを願わずにはいられません。
合掌
2003年2月16日日曜日
「お彼岸に思う」 音更町 光明寺 臼井公敏
お電話、ありがとうございます。来月は春の彼岸なので、お彼岸のお話をさせていただきます。
ご存知のように、春分の日と秋分の日を「お中日」[おちゅうにち]として、前後三日間、計一週間を、それぞれ「春の彼岸」・「秋の彼岸」と申します。
お彼岸というと、家でぼた餅を作って、お墓や納骨堂にお参りする行事だというのが、一般的ではないでしょうか。
「彼岸」とは「到彼岸」とも言います。
「到彼岸」の「到」[とう]は「到着」の「到」です。「いたる」と読みます。
では、何処に到るのでしょうか?
私たちが現在生きているこの世、迷いの世界の「此の岸」[このきし]から、さとりの世界の「彼の岸」[かのきし]に到るのです。
自分の生活を省[かえり]み、祖先や人間の思いに感謝し、阿弥陀如来の誓いの船に乗せられて、悟りの彼の岸に到るしあわせをよろこぶのであります。
私たちの人生とは、自分の思いとおりになりたいと努力もするが、どうにもうまういかない、どちらに転んでも不足や愚痴しか出てこない、そしてあげくの果てには、人生のむなしさと、けだるさだけが待ちかまえているという、救いようのない、人生のやりきれなさ、この世の問題でありながら、この世の努力や精進だけでは解決できるものではないところに彼岸を願うこころがあるのだろうと思います。
現代の科学的な実証的な教育を受けた私たちにとって、彼岸はすんなりとは信じがたくなっているようです。信じないのではなく、信じられなくなってしまっているのです。
拝まないのではない、拝めなくなっているのです。
お中日には、各お寺でご法座[ほうざ]がありますのでぜひお寺に足を運び、お聴聞[ちょうもん]したいものです。
その折々に、阿弥陀さまのご本願のおいわれを聴聞し、この私自身をみつめなおしたいものです。
ご存知のように、春分の日と秋分の日を「お中日」[おちゅうにち]として、前後三日間、計一週間を、それぞれ「春の彼岸」・「秋の彼岸」と申します。
お彼岸というと、家でぼた餅を作って、お墓や納骨堂にお参りする行事だというのが、一般的ではないでしょうか。
「彼岸」とは「到彼岸」とも言います。
「到彼岸」の「到」[とう]は「到着」の「到」です。「いたる」と読みます。
では、何処に到るのでしょうか?
私たちが現在生きているこの世、迷いの世界の「此の岸」[このきし]から、さとりの世界の「彼の岸」[かのきし]に到るのです。
自分の生活を省[かえり]み、祖先や人間の思いに感謝し、阿弥陀如来の誓いの船に乗せられて、悟りの彼の岸に到るしあわせをよろこぶのであります。
私たちの人生とは、自分の思いとおりになりたいと努力もするが、どうにもうまういかない、どちらに転んでも不足や愚痴しか出てこない、そしてあげくの果てには、人生のむなしさと、けだるさだけが待ちかまえているという、救いようのない、人生のやりきれなさ、この世の問題でありながら、この世の努力や精進だけでは解決できるものではないところに彼岸を願うこころがあるのだろうと思います。
現代の科学的な実証的な教育を受けた私たちにとって、彼岸はすんなりとは信じがたくなっているようです。信じないのではなく、信じられなくなってしまっているのです。
拝まないのではない、拝めなくなっているのです。
お中日には、各お寺でご法座[ほうざ]がありますのでぜひお寺に足を運び、お聴聞[ちょうもん]したいものです。
その折々に、阿弥陀さまのご本願のおいわれを聴聞し、この私自身をみつめなおしたいものです。
2003年2月1日土曜日
「お念仏の信に生きるとは」 大樹町 誓願寺 頓宮彰玄
ようこそのお聴聞[ちょうもん]でございます。
ご法話とは何か、お念仏の信に生きるとはどういうことか、ということについて「自信教人信」[じしんきょうにんしん]ということが言われます。“自ら信じ”ということは、私が何かを信じるというよりも“信ぜしめられる”、いただく、たまわる、ということですね。そして“教人信”、人を教えて“信ぜしむ”ということですが、ここが問題でございます。
私が京都におりました時、大変お世話になった先生に、西元宗助[にしもと そうすけ]という先生がいらっしゃいまして、戦後まもなくの頃の金子大栄[かねこ だいえい]先生と、この西元先生の問答というか、対話が残されています。
西元先生はシベリア抑留を生き延びて日本に帰ってくるんですが、先生はシベリアで深い宗教体験をなさって、南無阿弥陀仏に支えられて“生き抜いた”ということがありました。
金子先生はそれを知っておられまして、
「西元さん、あなたはシベリア体験を通して、もうあなたの信心は合格した、これから“教人信”で我々いたらん者を教えるためにご苦労なさるおつもりでしょうね」
とおっしゃった。これはまったくその通りで図星だった。西元先生はうなずかざるを得ない。そこで金子先生はこう通続けられたそうです。
「金子は違います。戦後の混乱した日本社会、その一切の人が救われねばならない、救われるために、金子は一生涯かけて、仏さまのお聞かせに預[あずか]ります。“自信”のほかに“教人信”はございません。西元さんどうでしょうか?」
あの金子大先生にしてそう言わしめる世界、これからは「教人信」などと、自分は何という傲慢な思い違いをしていたのか。西元先生は、そのことを教えてくださった金子先生に、唯々頭が下がらずにはおられなかった。この教えは私に一生涯の教えでございました。‥‥西元先生はそうおっしゃっておられます。
ここに、教えようとする言葉に教えられたことはない、教えられたという後ろ姿に教えられていく、“教人信”の真実、相続の真実がございます。
ご法話とは何か? 信に生きるとは何か? ということが、50年も昔に、すでに答えていただいてあったことを、まことにうれしくいただかせていただくことでございます。
ご法話とは何か、お念仏の信に生きるとはどういうことか、ということについて「自信教人信」[じしんきょうにんしん]ということが言われます。“自ら信じ”ということは、私が何かを信じるというよりも“信ぜしめられる”、いただく、たまわる、ということですね。そして“教人信”、人を教えて“信ぜしむ”ということですが、ここが問題でございます。
私が京都におりました時、大変お世話になった先生に、西元宗助[にしもと そうすけ]という先生がいらっしゃいまして、戦後まもなくの頃の金子大栄[かねこ だいえい]先生と、この西元先生の問答というか、対話が残されています。
西元先生はシベリア抑留を生き延びて日本に帰ってくるんですが、先生はシベリアで深い宗教体験をなさって、南無阿弥陀仏に支えられて“生き抜いた”ということがありました。
金子先生はそれを知っておられまして、
「西元さん、あなたはシベリア体験を通して、もうあなたの信心は合格した、これから“教人信”で我々いたらん者を教えるためにご苦労なさるおつもりでしょうね」
とおっしゃった。これはまったくその通りで図星だった。西元先生はうなずかざるを得ない。そこで金子先生はこう通続けられたそうです。
「金子は違います。戦後の混乱した日本社会、その一切の人が救われねばならない、救われるために、金子は一生涯かけて、仏さまのお聞かせに預[あずか]ります。“自信”のほかに“教人信”はございません。西元さんどうでしょうか?」
あの金子大先生にしてそう言わしめる世界、これからは「教人信」などと、自分は何という傲慢な思い違いをしていたのか。西元先生は、そのことを教えてくださった金子先生に、唯々頭が下がらずにはおられなかった。この教えは私に一生涯の教えでございました。‥‥西元先生はそうおっしゃっておられます。
ここに、教えようとする言葉に教えられたことはない、教えられたという後ろ姿に教えられていく、“教人信”の真実、相続の真実がございます。
ご法話とは何か? 信に生きるとは何か? ということが、50年も昔に、すでに答えていただいてあったことを、まことにうれしくいただかせていただくことでございます。
2003年1月16日木曜日
「大きくなったら何になる?」 大樹町 光教寺 岩崎教之
寒い日が続きますが、皆様いかがお過ごしですか。北海道・十勝に住む私たちには、寒い冬は当たり前のことですが、特に今年の寒さは厳しく感じられます。また、先日は一日で50cmを超える大雪が降りましたし、本当に厳しい冬になっていますね。
さて、その雪のことになりますが、皆様は「雪がとけると何になるでしょう?」と聞かれると何と答えますか? 「それは水になるに決まっているじゃないか」 そう答えが返ってきそうですね。それはもちろん正解です。小学校4年生の理科の教科書にもちゃんとそう載っています。これは、科学的なものの見方からすれば当然の答えとなります。
しかし一方で、こう答えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。それは、「雪がとけると春になる」です。これは、なぞなぞの答えというのではなく、私たち北国の、雪に閉ざされた厳しい寒さの冬を過ごす者にとっての、実感としての答えであるといえましょう。日差しが暖かくなり、雪がとけてくると、「やっと春になったね」という、ホッと安心できる気持ちが表れている答えであります。「冬来たりなば春遠からじ」であります。こうした季節の移ろいの中で、今日、一日一日の“いのち”の有りようを見つめていくことが大切である、と気づかされます。
私たちはよく子どもに「大きくなったら何になるの?」と聞くことがあります。
「僕、野球選手になりたい。」
「私はお花屋さん。」
子どもはいろんな夢を話してくれます。
「そーっ。運動や勉強を一生懸命やって、立派な大人になってね。」そう励まします。
では逆に、大人になった私たちに子どもから「じゃあ、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんは、大きくなったら何になるの?」と聞かれたら何と答えますか?
今さら、何になるなんて考えたこともないし、また、考えてもし方のないことのように思っているのではないでしょうか。これでは夢も希望もない、下向きの人生で終わってしまいます。
親鸞聖人は「本願力に遇いぬれば 空しく過ぐる人ぞなき」とお示しくださいました(高僧和讃)。阿弥陀如来の「必ず救う」という誓いは、たとえどのようなことがあっても、迷いの世界を空しく流転させはしない、という私へのはたらきであります。
ですから、子どもに対して「私は大きくなったら仏さまにならせていただくのですよ。ありがたいことです。」と言える大人になり、手を合わせ、お念仏申す人生を歩む姿を示して参りたいものであります。
さて、その雪のことになりますが、皆様は「雪がとけると何になるでしょう?」と聞かれると何と答えますか? 「それは水になるに決まっているじゃないか」 そう答えが返ってきそうですね。それはもちろん正解です。小学校4年生の理科の教科書にもちゃんとそう載っています。これは、科学的なものの見方からすれば当然の答えとなります。
しかし一方で、こう答えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。それは、「雪がとけると春になる」です。これは、なぞなぞの答えというのではなく、私たち北国の、雪に閉ざされた厳しい寒さの冬を過ごす者にとっての、実感としての答えであるといえましょう。日差しが暖かくなり、雪がとけてくると、「やっと春になったね」という、ホッと安心できる気持ちが表れている答えであります。「冬来たりなば春遠からじ」であります。こうした季節の移ろいの中で、今日、一日一日の“いのち”の有りようを見つめていくことが大切である、と気づかされます。
私たちはよく子どもに「大きくなったら何になるの?」と聞くことがあります。
「僕、野球選手になりたい。」
「私はお花屋さん。」
子どもはいろんな夢を話してくれます。
「そーっ。運動や勉強を一生懸命やって、立派な大人になってね。」そう励まします。
では逆に、大人になった私たちに子どもから「じゃあ、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんは、大きくなったら何になるの?」と聞かれたら何と答えますか?
今さら、何になるなんて考えたこともないし、また、考えてもし方のないことのように思っているのではないでしょうか。これでは夢も希望もない、下向きの人生で終わってしまいます。
親鸞聖人は「本願力に遇いぬれば 空しく過ぐる人ぞなき」とお示しくださいました(高僧和讃)。阿弥陀如来の「必ず救う」という誓いは、たとえどのようなことがあっても、迷いの世界を空しく流転させはしない、という私へのはたらきであります。
ですから、子どもに対して「私は大きくなったら仏さまにならせていただくのですよ。ありがたいことです。」と言える大人になり、手を合わせ、お念仏申す人生を歩む姿を示して参りたいものであります。
2002年12月1日日曜日
「「あたりまえ」のなかに・・・」 足寄町 照経寺 鷲岡康照
師走に入り、だんだんと慌ただしくなってまいりました。
「慌ただしい」という字は「りっしんべん(心)」に「荒れる」という字でできています。
「りっしんべん(心)」に「亡びる」という字を並べると「忙しい」という字になりますし、「心」を下に書くと「忘れる」という字になります。
「忙しい、忙しい」の生活は、大切なものを荒らし、亡ぼし、忘れさせている生活です。こういうときほど、静かに自分を見つめ、一年を振り返ることが大切なのではないでしょうか。
井村和清氏は前途を嘱望された若い医師でしたが、右膝に悪性腫瘍[しゅよう]が発症し、残り少ない生であると知らされます。彼は、この世で迎える最後になるであろう昭和54年の正月に、家族への新年の贈り物として「あたりまえ」という詩を残されています。
仏さまの光に照らされて、あたりまえじゃなかった、「有り難い・おかげさまの人生」であったと知らされるのではないでしょうか。
「慌ただしい」という字は「りっしんべん(心)」に「荒れる」という字でできています。
「りっしんべん(心)」に「亡びる」という字を並べると「忙しい」という字になりますし、「心」を下に書くと「忘れる」という字になります。
「忙しい、忙しい」の生活は、大切なものを荒らし、亡ぼし、忘れさせている生活です。こういうときほど、静かに自分を見つめ、一年を振り返ることが大切なのではないでしょうか。
井村和清氏は前途を嘱望された若い医師でしたが、右膝に悪性腫瘍[しゅよう]が発症し、残り少ない生であると知らされます。彼は、この世で迎える最後になるであろう昭和54年の正月に、家族への新年の贈り物として「あたりまえ」という詩を残されています。
あたりまえ
こんなすばらしいことを
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
仏さまの光に照らされて、あたりまえじゃなかった、「有り難い・おかげさまの人生」であったと知らされるのではないでしょうか。
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